役所の不条理

 現在の政治は政権党民主党の弱体化により、混迷を深め、世論の後押しもあって、衆議院の任期との兼ね合いにより、「社会保障と税の一体改革」の成立とあいまって、消費増税が現実のものとして確実視されようとしている。そこで私はかねてよりそれらを語る時、忘れてならないのが、市町村の平成の大合併であると思っている。
 
 そもそもこの合併、何で行われたのか。何の事は無い、昔で言う口減らしである、つまり、国と地方合わせて700兆円近い財政破綻を打開するために、国からの地方交付税を減らそうというのが狙いだった。市町村の数が減れば交付税の「出費」も少なくなる。いってみれば、親に家計をやりくりする才覚が無く、バクチに手を出したりしたあげく、借金を背負い、その責任を、子供たちに押し付け、「おまえら、明日から食事は一日ニ食だけにしろ」と言ってるようなものである。
 
 ここで今更の是非論、論じても意味無い。私が非常に不思議と言うか不条理と言うか、いつも思っている事がある。そう市町村合併である。
 
 普通何でも何で合併するかと言えば、何の事は無い、経費の節減である。ところがこの市町村合併、その節減されたのは、市町村毎にあった首長の数と夫々の議員の定数減による、節減だけである。一番手を付けなければならなかったのが、総務費の大半を占める職員の給料である。つまり合併の効果の大半はこの職員の合理化による削減だった筈なのに、さすが公務員、自らにはキズをつけず、職員の定年退職による自然減でお茶を濁したのである。何も私はこれらは全て公務員の方々のせいだとだけは言ってない。民意による直接選挙で選ばれた首長だけに許される、至極当然の権利を行使しなかった首長に全ての責任がある。それを補佐しなければと言うより、行政の監査役の議会がだらしなかったと言えるのである。既に現在首長と議会議員は、役人・公務員の家来となっているに等しい。田舎に行くほどそれが顕著である。せめて橋下大阪市長ほどの才覚的政治家が1人でも居たらと思う事時々ある。この合併公務員にはリストラは出来無い事は織り込み済みであった。少なくとも時の首長さんと合併協議会の皆さん方は、公務員である職員の皆さんを敵に回したくなかったのだろう。大体そんなもんである。公務員の皆さんは賢い、表向き職員の自然減で職員の数を減らしたように見せかけ、実際は職員の数減らさずにかえって増やしたのである。それは何故か、減った分だけ自分らの仕事が増えるから減らさなかったのである。本当に公務員と言う人種は悪知恵が働く人種である。では何をしたか、つまり臨時職員の増加である。臨時職員は職員に入らないから、表向きは努力した形になる。だから安い女性職員が増え、そして、職種指導がいらないからと、定年退職者を臨時に雇用しているのである。それも職員時代の6割の給料で雇えば、お互いが好都合なのである。本当に酷いものである。このような考えの人間が全国の自治体殆んどと言ってよい。考えれば考えるほど恐ろしいのであるが、その当の公務員本人達は、それが自治体として、また公共としての経営の本質に沿わない事さえ知らず、理解せず、解からないと言った方が良いのかも知れない。本当にこれが公務員の実態なのである。何故こう言う事になるかと言えば何の事は無い、自分の金で無いからである。所詮自分の腹は痛まないからである。税金だからである。