娘の死(その1)

 その日私は3日分のブログの記事を書き終え浴室に居た。久し振りの満足感で浴槽でリラックス。その時前の廊下や前室が何故か騒がしい。
 すると妻が血相を変え、「お父さん、とにかく落ち着いて」と騒ぎながら浴槽のドアを開け、可笑しな事を言いながらあわてふためき叫んで入って来た。
 「お母さんどうした?」と私は何かあったのかと言うように聞いた。
 「Mちゃん(私の娘32歳独身同居)死んでた」
 「何?どうして、直ぐ救急車を」と私は言った。
 妻は「駄目、冷たくなってた。それでS先生に連絡したので今直ぐ来る」と言って出て行った。この間僅か1~2分位だったろうか。
 これ13日の夜の事である。
 私は、目の前が真っ暗になり、風呂の中で号泣した。
 とにかく早く浴室を出なければと急いで体を拭き浴室を出、居間に行った。居間には息子の嫁さんと孫3人が何か不安そうに居た。そこで私は堪えきれず、床を叩きながらまたも号泣した。
 すると、病院のS先生が到着し、娘の死体を調べた。どう言う訳か事件性の有無の為に県警に(S先生が)連絡し、その県警の鑑識が来るの遅れてた。とにかくその日どう言う訳かこのての事が多くてんてこ舞いだったらしい。2時間も待ったろうか、来たの22時頃になっていた。こちらはただ待つしかなかった。すると0時頃ようやく結論が出、世帯主の私に報告したいとの事だった。もう真夜中の1時頃になっていた。
 結論的には、どうも死後経ち過ぎていて、しかもエアコンが掛かっていて、死因と死亡時刻が特定出来ないし、しかも、事件性も否定出来ないため、死体を解剖したいとの事。私は娘をそんな風にしたくなかったため断ろうとしたら、刑事が「済みません、これは断ると言うような事出来ないんです」。親族・関係者には断る権限が無いとの事を言われた。私はそんな理不尽なと食い下がったが駄目であった。つまり事件性が否定出来ない場合は、関係者には選択の権限が無いのだそうである。驚いたがしょうがないため、しぶしぶ承諾した。
 その後娘は大学の法医学教室に搬送されるため、我が家を出た。その後何時間も立ったろうか。外は白々もう朝になっていた。電話のベルが鳴った。朝早いため特に響くのを感じた。県警の刑事だった。県警本部と相談した結果、事件性無しと結論付けたため、死体解剖せずに返せるとの連絡で、至急葬儀社を手配し、その後の行事を進めてほしいとの事だった。随分と勝手である。死体解剖は時間が掛かるので、2~3日葬儀その他は止めててほしいと言われたばかりだったからである。
 私たち遺族はまたもやあわてふためいた。直ぐお寺に連絡をしたが14日は友引で、全て明日以降に繰り延べで15日は混んでいて、無理だと言われ、しょうがなく、平日の月曜日の16日の葬儀と相なった。
 その2に続く(後日)