娘の死(その2)

 私は娘の死を認め、葬儀の手続きをしてその日程を決めはしたが、正直まだ気持ちの整理がつかず、納得出来ずに居た。妻との会話では話こそ出来ず泣いてばかりだった。しかし、現実娘は呼べども動かず返事せず。この結果は受け入れずにはと思い、やっとこさ腹を決め葬儀の日程表に目を通した。
 
 私は以前より、どう言う訳か父親と娘の関係で居た。つまりもう子供ではない一人前の一個の女性と見、プライベートにはあまり深入りしないで居た。結果的にはそれが良かったのか悪かったのか、今にして思えば私は彼女の何も理解してなかったのかも知れない。殆んどどう言う生活をし、何を悩み何を思っていたのか殆んど解かっていなかったのかも知れない。時には父親と娘の会話も殆んど無かったに等しい。時には心なしか寂しげな表情を見て、もしかしたら、友達も居ず、婚期を逸したアラサー世代とも思っていた事も事実である。
 
 そして、葬儀の日である、そんな気持ちを抱いていた私は葬儀当日の焼香参列者の数少しと見込み、香典返しを少ししか頼んでいなかった私は、それがとんでもない間違いだった事に気付くにはそんなに時間が掛からなかった。
 
 娘は高卒後、やりたい事があると、埼玉の短大に進学し、それを終え、も少し勉強したいと故郷の各種学校に2年間通った。だが卒業しても就職出来ず、某省の出先機関の臨時の職員に応募し、運よく合格し、昨年末まで在籍し、その後辞め、家でのんびり家事手伝いをしていたのであった。娘は私に似てスポーツは得意な方で、中学は陸上とバスケットボール、高校時代はソフトボールに在籍しそれなりに活躍した方である。
性格的には、私に似て、どちらかと言えば気難しく、企画好きな行動派だったと思う。
 
 葬儀当日3回も香典返しの数を追加し、葬儀に参列してくれた方々の数に正直驚き、今は自分の娘を誇りに思っている次第である。一人ぼっちのアラサー世代と思っていた自分が恥ずかしかった。こんなにも来てくれた皆さんを見て、娘は嫌われていなかった。それが今娘を亡くした父親の正直な気持ちである。悲しみと同時に、何て言うか清清しさを感じた事も事実である。
 今私は娘の死に直面して、次の事を思い知った。
 
 「死して知る生時の価値」
 
 これを実感した娘の死であった。
 逝った者、残された者全てにである。
 
 そして、このブログに直接お悔やみを下さいました方々には本当にありがとうございました。この場を借りまして感謝を申し上げます。
 

※ 今まで通りの記事が書けるか心配ですが、頑張って見ます。