震災を受けた福島原発と受けなかった女川原発との図による比較

 先日、福島原発事故調査・検証委員会が中間報告をまとめたのを受けて、マスコミ紙が一斉に報じた。それには、菅前首相の無能ぶりばかりが目についたが、私は実のところ、この原発事故にはどうも我々国民にはどうしても腑に落ちない事や不可解な事が多くありすぎて、やりきれない気持ちなのは私だけなのであろうか。今もって自問自答している。
 
 私はこの10月18日付ブログにて「自然災害に対する想定外と生きる術(すべ)」と題した記事を書いているが、その震災で難を逃れた妻の友人の事を書いた。
 その妻の友人によれば、3月11日の大震災の僅か2日前に来た地震により、もっと大きな地震が必ず来ると予想してすぐ帰宅し、貴重品だけをまとめ、リュックサックに入れ今後来るかも知れない地震あるいはそれによる津波に備えて助かったと言う事を考えるに、政府や報道機関が言ってるように、本当に「想定外」だったのか、私には非常に疑問に思えてならない。
 私には、政府や官僚つまりこの国を司る国会議員や、役人が自己責任回避のための言い訳に思えてくる。何故なら、海辺に住む一介の1国民・1市民が危険を感じとって取った行動である。それこそ生きる術(すべ)であった。その一介の1国民・1市民が感じとった危険を自治体職員誰1人も考えなかったのかと言う事である。全てのマスコミ報道は「想定外」で矛を収めてしまった。これはちょうど「赤信号みんなで渡れば」の精神にそっくりである。それにもう一つ私には腑に落ちない事がある。いくらも離れていない東北電力の「女川原発」の被害が殆んど無かった事である。そこで私はその不可解な事柄を自分なりに図化して見たので紹介したい。
 
 別図を見れば良く解かる。要するに「想定外」と言うより、それを考えて造ったのかどうかは解からないが、女川原発の方が、福島第一より4.8m高いところに造ったから助かったのである。この4.8mの差が明暗を分けたと言って良い。
 
 私はこの震災を受けてより、原発の専門の大学の先生が毎日のように、この原発の危険性を発言しているが、確かにそれは生命に直結するためとても大事ではあるが、要するに物理的な原因にもよる事も今後の検証の必要性を感じたのである。
 
 物事に、もし、たらは厳禁ではあるが、もし、福島第一原発女川原発の高さにあったら、この1大事故は当然起きず、こんなにも危険に晒される事もなかったであろうと思う。
 
 つまり私は何を言いたいかと言う事だが、確かに原発は危険であるし、将来的には廃止には賛成であるが、私はそれより、電量不足による企業の落ち込みの方が心配である。私は1企業の端くれとして、中小企業・零細企業は、企業あっての人間なのであるし、明日の米より今日の米なのである事をご理解頂きたいものである。
 
 恐らく私のような考えの人間も居ようが、生命の危険との対峙には勇気も必要であり、その主張も出来ないのが現実でもある。
 
 そして生きていかなければならない心の葛藤に悩まされている自分に、時には情けないとも思っている。
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※上図は東京電力福島第1原子力発電所東北電力女川原子力発電所津波状況を私が比較した図である。