脱原発 即時はやはり無理か

 北海道電力は、運転中の泊原発(北海道泊村)3号機について、4月下旬に予定していた定期検査を5月上旬に先送りする検討を始めた。泊1、2号機の再稼働のめどが立たず、今春の電力需給が不安視されるためで、近く国の了解を得て最終決定する。
 泊3号機は昨年1月に定期検査を開始し、同3月7日に再稼働。約1カ月後に営業運転に移行する予定だったが、東日本大震災の影響で実際の移行は8月17日にずれ込んだ。電気事業法の規定で、定期検査は営業運転開始後13カ月以内に実施することになっているが、北電は震災前の計画通り、今年4月28日ごろの定期検査入りを予定していた。
 しかし、老朽化が進む火力発電所のトラブル懸念などもあり、燃料棒の劣化の度合いを評価した結果、1週間~10日程度の延長運転が可能と判断した。
 国内にある商用原発54基のうち、運転中は東京電力柏崎刈羽原発新潟県柏崎市刈羽村)6号機と泊3号機だけ。柏崎刈羽6号機は3月26日に定期検査入りする予定で、ほかの原発が再稼働しない場合、泊3号機の停止で国内の全原発が止まる。

 私は3.11の大震災の東電福島第一原発事故による電力の逼迫事情を昨年8月12日付でこのブログに次のような記事を載せたので、紹介したい。
  「電力の需要・供給を根本から考えると、原発の停止がかなり影響しているのは否めない事実である。 3.11の大震災の以後、連日新聞テレビのメディアではこの原発の危険による停止により、電力会社の節電の要請が行われて来た。ところがそのメディアや当局は決してそうでは無いと数値を示し、否定して来た事も事実である。つまり全国にある55基の原発を全て停止しても、電力供給能力は足らない位あるとの結論付けなのである。電力会社による節電要請は原発維持のための誘導だと言いたい訳だ。確かに原発を入れない火力と水力や、微々たる風力や太陽光を合わせれば電力供給能力は足りる計算にはなる。がしかし、その計算にはリスクは計算には入っていないのであって、ギリギリなのである。それは夏場の最大電力使用時を想定しての事でもある。そう言う見方をすれば、計算上は電力供給能力は足らない事にはならないのである。 
 この原発設置時の仕様を見れば明らかに解かる。ちょうど、パソコンに詳しい方は解かると思うが、セキュリティ保存のRaidを組む時に似ているのである。 
 我々商売でパソコン(あくまでもパソコンである汎用では無い)を酷使する人間は、パソコンを採用するに必ずRaidを組むのである。それは何故か、作ったデータや書類等を消滅させないために、あらゆるセキュリティを考えて対処しなくてはならない。だから保存するハードディスクは2台、3台と複数台同時に活用し、全く同じものを2ケ用意し、同時に同じデータを書き込むのである。万が一どちらかが故障しても、片一方は生きているのである。同時に駄目になる確率は非常に少ないのである。これをPCの世界では、Raid1(ミラーリング)と言っているのである。もうここでお解かりになった方は、PCと原発行政に明るい方だと思う。
 これを原発に当てはめれば、原発設置時に同時に同規模発電量の火力発電所も申請してるのである。だからこそ原発が無くても電力は賄える事になる訳なのである。
 だからと言って私は原発推進派と言う訳でも無い。強いて言えば「minimum原発いづれは無くする)派」と言えようか。私はどちらかと言えば最近はあまりにも現状の理解無しの「即脱原発」に疑問を抱いたからである。確かに人間の命は尊いし、何ものにも代え難く重いのは承知をしている。しかし人間の平等の権利である、解かっていながらその意思表示を出来ない人間も居る事も考えたいからである。
 
 だからと言って私は旧来の自民党政権時の「原発推進政策」は決して支持はしてない。」
 
以上のような記事だった。
 
 私は今でもこの考えは変わっていない。
 
 私が今でも心配しているのは、電力の逼迫により、中小企業の打撃による倒産の危機である。私は何もその事を訴える事で、原発再稼動を肯定してる訳では無いのだが、結果的にはそう思う方々には、同じと映るかも知れない。私はそれでも良いと思っている。それだけ現代社会は電力と言うもの生活と生きる術(すべ)の一部なのである。いや一部と言うより体の一部分なのである。生体の必要部分であり欠けからざる部品と同じと思っているのである。我々中小企業・零細企業人間は、会社あっての人種であり、それが無ければ生命そのものが絶たれる事必定である。
 
 代替電力の火力発電所は今どうなっているか、大震災の事故により、脱原発の国民の「シュプレヒコール」により目一杯稼動なのである。このまま稼動すればいずれ、最大稼動のツケがやってくる。そう部品の磨耗やその他部品疲労の限界がやってくる。そうなった時の代替電力としての自然エネルギーの電力利用が準備できてるのだろうか。もしそれが出来て無く、しかも原発電力が使用できない時どうなるのだろうか。私は決して何度も言ってるように、人命を軽視もせず、原発推進でも無い。がしかし、そうなった時の日本経済の打撃は計り知れなく、回復の見通しは天文学的になってしまう。
 
 私は、電力の自然エネルギー代替まで、準備が整うまで、原発依存を許容したい。
 
 最終的には何度も言うそれまではminimum原発である。
 
 お前は何て言う奴だと言われても良い。現実的にはそうでは無いかと言いたいのである。