官僚・役人は頭が良いのか悪いのか

 藤田幸久財務副大臣は22日午後の会見で、事業仕分けで一時建設が凍結されたにもかかわらず、今月建設を着工した公務員宿舎の朝霞住宅について、「建設費用は105億円、同時に廃止する公務員宿舎の跡地売却で114億─128億円の税外収入が見込まれ、差額の10億─20億円を復興財源に回す」と説明した。 
 復興財源捻出のため政府が増税を打ち出すなかでの公務員宿舎新設には与党内にも異論が出ているが、副大臣は被災地で救援活動を行った自衛官や警察官など全国各地を勤務する国家公務員のためには住宅が必要と説明。同時に5年間で全体の15%に相当する3万7000戸の公務員宿舎を削減する集約の過程と強調した。
ロイターの配信である。
 
 
 思うに私は上記記事のように考えるとは、官僚とは頭が良いのか悪いのか解からなくなって来た。
 普通は財政が厳しい時には、公務員宿舎建設なんぞは、やらずに、その建設費用は復興財源に回す筈だが、今の財務官僚は、売却してその黒字の部分を復興財源に回すから良いだろうとの考えみたいだが、これが官僚の官僚たる所以である。何故なら理屈上は耐用年数が来ていづれは建替えしなければ出来ない事なのだから、と言うこじ付けなのである。大概これが官僚の理屈なのである。苦しい時は我慢と言う観念は絶対と言って良いほど官僚には無い。すべてが予算なのである。予算化しないと何も出来ないと思っている。これが硬直化の原因である。途中計画の変更で大きな予算の組み替えと言う考えも無いのである。増えるだけなら官僚は直ぐ納得であり、減って増える場合の減る方が駄目なのである。だから自治体も同じで、民間的弾力性のある予算の組み方は出来ない。これが実態なのである。いくら話しても、いくら説得しても理解してもらえないのである。決定権のある役職の方々は皆、そうやって40年もやって来た手法が染み付いて理解不能となる。だから全国に山ほどある、第三セクターといわれる官民の団体が累積赤字でどうにもならなくなってる原因もこれである。だからいくら頭の良い官僚・役人でも、民間暮らしの無い人間の組織はいづれ駄目になるのは当り前の理屈なのである。責任が直結する前進的な考えの無い、前例の踏襲しか考えれない官僚・役人は先が見えてるのである。端的に言えば、「変革を嫌い、平穏無事」これが官僚・役人のモットーとしか思えないのである。
 これらから考えると官僚・役人と言うのは頭が良いのか悪いのか解らなくなって来た。