長かった。本当に長かった。正直「メド」は来ないものだと思っていた。と言うより、民主側があそこまで譲歩しようとは菅首相自身、それこそ「想定外」だったのでは無いか。どうも「メド」の3条件は、はなから自公の歩み寄りは無いと思っていたフシが伺える。それ程菅首相の執念は凄まじかった。またこの菅首相、政策の立案や、宰相としての器はなかったが、延命のためのヒラメキやその時を見る術は天才的であった。悲しいかな、その術を政策に転嫁出来得る頭脳が備わっていれば、また違う展開になっていたのではと思えるが、それは徒労と言うものであろう。
私は菅首相を甘く見ていたのかも知れない。何故ならば、こう言う状況になってさえ今も後継に「脱原発依存」の推進や、運転停止中の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉検討など自らが掲げたエネルギー政策について「私が責任を持っている段階では私がやるが、その後の政権も必ず継続してくれる」と次期政権に継承を求めている現状を見るに、足かせを平気でやってるからである。普通、ここまで不平不満により退陣する首相とも思えない、転んでもタダで起きない「ズルさ」が今尚有る事である。