国会議員って公僕では無いのか?公務員に値する公僕って言わないのか?

 公僕って物の本では「広く公衆に奉仕する者」という意味で公務員の事を指すが、同じ国民から選挙で選ばれた国会議員も「広く公衆に奉仕する者」という意味で公僕と言うのではないかと私は理解してるが、役人と言う公務員は今やその公僕と言う意味合いから逸脱して最早職業公務員と化して一種のサラリーマン化してるのが現実である。そう言う意味からして本来の公務員を公僕とは言わないのが現実であろう。特に国会議員の場合は特に顕著である。その表れは現在の政治資金規正法の改正案の自民党の迷走である。政権党として、また前記の「広く公衆に奉仕する者」という意味での公僕に値する自民党国会議員は少なくとも国民の代表として国民に範を示す最高の人材でなければならないのに、既に職業議員化してしまっている。法として条文化してなければ何をしても良いと考えているのではないか? 残念ながら現在の国会議員は特に自民党国会議員は広く国民に範を示す人材に成り得ていないと私は思う。何故なら政治資金パーティー券購入者の公開基準額を「20万円超」から「10万円超」への引き下げ云々等の議論で良く解る。そんな事議論するまでの事でもないからだ。本来そんな事1円から公開するのが常識と言うものだろう。国会議員として国策の是非や事務の煩雑での意味での基準を論じるのは論外と言うものだからだ。何故ならもう終わってしまったが、国民の義務である所得税の確定申告で1円たりとも領収書の無いカネの経費は認められないからである。そう言って国民には強制して自分らは無くても認めろと言うのは余りにも乱暴で、人間的にも常識外れの何物でもないからである。