「デンパとジンジを握ったら誰でも面白いようになんでもできるさ」を地で行ってる安倍政権、実は内から崩壊の恐れあり?

ソンタクは損得の始まり、ウソつきは泥棒の始まりである。
「加計問題の内部告発者の処分可能性」を義家副大臣が示唆とか。「この人、国家公務員法を知ってるの?」と思わせる文科省・義家副大臣のお粗末発言だ。
「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し・・・」(国家公務員法96条)で、形式的には国会議員もまた「特別職の国家公務員」である。投げたブーメランは国会議員にかえるは必至。職業倫理からも、公務員はそもそも「一部の奉仕者」であってはならないのだ。
しかし、省庁を超え官僚の多くは官邸に対して、「ゴマすり」「廊下トンビ」と称され、すっかり政高官低の体である。ОBとはいえ反・猟官運動に立ち上がった前川前文科省事務次官は「あっぱれ」だ。
なにより同氏が語る、「(公務員は)公僕だから」がいい。「官僚は公僕であり、安倍首相と菅官房長官の家来にあらず」とは、即ち「吏道」の精神であろうか。官僚が国民を見ずに官邸の顔色を窺って仕事をするなんてとんでもない! なのだ。
一連の現職首相とそのお友達への疑惑の数々は官邸に依る猟官運動の顛末と明らかになった。日本の官僚制度は世界に類のないほど堅固といわれたが案外もろかった。筆者はかつてこう指摘していた。
 「デンパとジンジを握ったら誰でも面白いようになんでもできるさ」(自民党NHKとテレ朝を呼び出す珍事[http://mediagong.jp/?p=9339])。
なんたって「公僕」だから。これぞ公務員の矜持といっていい。
「公僕」の人事の指標は、国民にとってその寄与がなんぼのものか、むろんその仕事が公平、公正であることはいうまでもない。彼らの給料はわれらが税金だ。時の施政者の「ご意思」に左右されての行政は迷惑千万で、ましてや官邸筋が手を回す便宜供与の疑いなど時代を超えて糾弾の対象だ。今回のことで「特区」自体が怪しくなった。
官邸から取り返せ、官僚の人事権だ。ソンタクの根腐れはもとから糾すしかない。人事は省庁ごとで完結すればいい。
霞が関支配の猟官司令塔の「内閣人事局」など、即刻の廃止が急がれる。
 
 
これ『「官僚=公僕」の人事権を官邸から取り戻せ』と題したメディアニュースとメディア批評のメディアゴン(MediaGong)山口道宏[ジャーナリスト/星槎大学教授/日本ペンクラブ会員]氏の6/28() 7:30の記事である。
 
 
私は一度も役人と言う職は経験していないが、長年の役所通いの経験から、役人の考え方は田舎にあっても、解かると自負してる。職務上の人間が一番良く思われる事には何があるか考えてみれば、一番よく分かる。役人と言う人種は最初にその職に就く時は、本当の意味で国民・市民の公僕として、好奇心を含めたやりがいのある職として、志を持った真剣な気持ちで選んだ筈である。が数年たち数10年のつわもの達に感化され、固定給に甘んじ、とにかく暇な事が市民にとって良い事と言うに傾斜してしまい、知らずに役人の血に染まってしまう(笑い)今の国会職員がそうである。彼らには労働基準法なんぞ夢のまた夢である。何故なら仕事柄国会と言う立法機関に属しているため、内閣と言う行政府の胸先三寸にある。本心は安倍首相のように、職員なんぞ頭にない外遊や国会のだらだら審議である。これはかなり国会職員の不信を買ってると私は思う。これは何を意味するかと言えば恐らく、何でもやりたがる安倍首相の基では自分らの仕事サイクルが自由に行かなくなる。そうなれば職員の不評を買えば自ずから職員のモチベーションが維持できなくなり、時に内から崩壊と言う現象もあり得る可能性大である。そこのところを安倍首相考えた政治を行っているかと言えばそれはnoである。必要ないがそこまでの気遣いがあるかどうかが今後を占う一つの指標となるであろう。それの上手かったの、かの今太閤田中角栄である。そこまでない安倍晋三、最早延長はもう無い!