マスコミの恐ろしさ

 ある新聞に私が投稿した記事が載った。ある行政の不祥事が一面を飾ったからである。私は自分の商売に重ねて、行政とマスコミの両方を批判した記事を投稿したのである。がどう言う訳か採用され載ったのである。

 私はその新聞の記事を読んでびっくりした。自分の記事が書き換えられていたのである。要するに当たり障りの無い記事である。私が主張したかった行政とマスコミへの批判はスッポリ抜け落ちていたのであった。私はもし事前の協議があったら恐らく記事採用を断ったと思う。私は現実にマスコミの姿を真近に見たのであった。採用された嬉しさは無く、何と言ったら良いのか複雑な気持ちだった。
 
 時間をおいてよく考えてみると、どうして私に事前の相談も無く記事を載せたのか、今は憤りを感じている。確かに私は記事を投稿した。だがその趣旨を変えられれば主張する意味は無い。私の人間なり人となりを変えた事になり、ある意味犯罪である。
 
 私が驚いたのはジャーナリストの一員として、普通に平気で平然と本人の承諾も無く変えた記事を載せた事である。私はこの一件で身近に本当のマスコミの姿を見たのである。
 
 私はこの私のブログを見た方々に、どうしても意見を聞きたくて今日記事に致しました。

 何卒ご意見を賜れればありがたいと思います。