新元号「令和」は正に安倍1強の成せる業だった?

 新元号は国書([日本古典]を典拠とする「令和」が選ばれた。安倍晉三首相は誘導を否定するものの、政府の選定手続きをたどると、虫立を装いながら巧みな説明で令和に導こうとする構図が透ける。有識者懇談会などの出席者の証言から1日の選定過程を再現した。
午前9時32分、官邸で元号に関する銀談会が始まった。上田良一NHK会長から山中伸弥京都大教授まで座席は五十音順で指定。携帯電話は事前に回収され、部屋には妨害電波も流された。
 有識者が封筒に入った二つ折りのA3判紙を広げると、六つの原案が書いてあった。右から縦書きで「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」「(霜)と並び、出典と書き下し文、意味が併記された。五十音順としたが、右端の英弘と左端の令和は国書出典の案となり、結果的に目立つ形になっていた。
 冒頭説明で元号担当の古谷一之官房副長官補が「国書を典拠とする案が選ばれれば、歴史上初めてとなります」と国書を際立たせた。右端の英弘については「人名や企業名にあります」と付言し、選定上の留意点「俗用されていない」に抵触する可能性を示唆した。
 首相のゴルフ仲間でもある榊原定征経団連会長ら交流が深いメンバーを中心に選出された有識者は、国書採用に全員賛同した。特に令和は「分かりやすい」「親しみやすい」などの意見が相次ぎ、最も評価が高かった。終了後は室内に約1時間半足止めされ、NHKの特別番組を見ながら発表を待った。
 続く衆参両院の正副議長からの意見聴取は1020分、衆院議長公邸で始まった。菅義偉官房長官有識者懇談会に関し「いろいろな意見が出ました」と報告するだけで、令の評価が高かった点は説明しなかった。
 
 冒頭、赤松広隆衆院副議長が事前の携帯電話提出と待機要請に強く抗議し、菅氏は謝罪、撤回した。さらに報告が誘導的だと受け取られれば、議論が混乱しかねないと判断した可能性がある。
 赤松氏は「みんなが読める」などとして、久化と広至を推した。郡司彰参院副議長は、新春の梅を描いた万葉集に由来する令和への違和感に言及。「元号が特定の季節を指すのはどうか。春生まれの人はいいが、秋や冬生まれの人もいる」と述べ、赤松氏も同調した。
 意見集約はされず、菅氏は「厳秘でお願いします」と言い残し、官邸に向かった。4人の正副議長は料亭から取り寄せた「昼には少し重いと思える量」の和食を時間をかけて食べながら過ごした。郡司氏は記念として一枚の紙に3人から肩書と署名を書いてもらった。
 
 全閣僚会議は1058分、官邸でスタートした。杉田和博官房副長官は「有識者はおおむね国書を推しました。『令和』がいいとの意見が多かったです」と報告。令和の出典、万葉集にも触れ「天皇から一
般庶民に至るまでの歌が幅広く収められています」と長所を強調した。
 閣僚からは河野太郎外相が「国書から選ぶのがいい」と口火を切ると、全員が国書に賛成した。令和だけでなく、複数の案を推す閣僚もいたものの、最終的に首相が「令和でいいのではないでしょうか」と提案。閣僚がうなずいて了承した。
 直ちに内閣府人事課辞令専門職の茂住修身氏が墨書に取り掛かった。1125分、改元政令に署名する臨時閣議が終了。40分までに皇室への連絡を終えたことを確認した。
 「先ほど元号を改める政令閣議決定されました」。41分、官邸の記者会見室。菅氏が秘書官から墨書を受け取って演台に移し替える瞬間、表側が少し浮き、最前列に座る記者には一部見えた。菅氏が「新しい元号は令和であります」と発表するまで10秒ほどだったが、情報管理に隙が出た。
 首相は夜のテレビ番組で令和について「私が推したということではない」と誘導を否定。ただ菅氏から3月に報告を受けた際の印象を「大変新鮮な響きがあった」と語り、当初から高く評価していたと明かした。
 
 
これ『透ける「令和」誘導 政府、中立装い巧みに説明』と題したあるローカル新聞4月7日の朝刊の記事である
 
 
 新元号「令和」は、首相官邸から宮内庁を通じ、天皇陛下と皇太子さまに伝えられた。閣議決定から菅義偉官房長官の発表までに、速やかに伝達できるよう綿密な計画を練った。安倍晋三首相が決定前、お二人と面会した際に令和を報告したとの臆測も飛び交う。
 ―日午前1125分。令和への改元政令を決める臨時閣議が終わり、26分に事務方トップの杉田和博宣房副長官が山本信一郎宮内庁長官に「元号は令和、出典は万葉集だ。陛下、皇太子殿下にお伝え願いたい」と電話連絡した。
 
 山本氏は東宮御所にいた西村泰彦宮内庁次長に杉田氏の報告を電話で伝え、山本氏が天皇陛下、西村氏が皇太子さまにそれぞれ面会して令和を知らせた。40分までに山本、西村両氏が杉田氏に伝達完了と回答した。
 1分後の41分。菅氏が記者会見で墨書を掲げて令和を発表した。11時半開始予定の会見が11分遅れたことについて、政権幹部は「お二人に伝わるまで会見の開始を待った。天皇陛下よりも皇太子さまに早く連絡が届いたようだ」と明かす。
 
 天皇元号は一体不可分だとして、発表より前にお二人に伝えるべきだと主張する保守派への配慮だったと言える。
 改元政令を載せた車は28分に官邸を出発し、36分に天皇陛下の住まいの皇居・御所に到着した。政府関係者によると、天皇陛下政令に署名されたのは50分すぎだという。
 首相は2月22日と3月29日、皇太子さまと面会した。「関係を深めたいとの強い思い」(周辺)から出た異例の対応だ。新元号は皇太子さまの贈り名(追号)になるだけに、「礼儀」として事前に伝えたのではないかとの臆測も呼んだ。
 
 ただ仮に、首相が新元号を事前に伝えた場合「新天皇に即位される皇太子さまが選定過程に関与したなどと、あらぬ疑いを招きかねない」(内閣法制局幹部)。天皇は国政に関する権能を持たないとする憲法上の規定があるからだ。杉田氏も「事前伝達はあり得ない」と完全否定する。
 1989年1月の平成改元時はどうだったのか。新元号選定に携わった内閣官房幹部がひそかに、部下を通じて当時の担当者に尋ねると、相手は「その件は言いたくない」と押し黙ったという。
 
 
こちらも同時掲載の「新元号発表前伝達へ綿密計画」と題した記事である。
 
 
元号天皇の「一世一元」の制度であり生前退位は近代初めての事とは言え、こんなにスムーズに移行できたのは、正に独裁政治だから出来た事言えまいか。
過去の元号制定においては、平成元号制定以後、あの当時の宰相竹下首相までが後々まで「小渕君は良いなー、後世まで、あの元号発表時の姿が永久に残れて」と妬いていたそうだ。それだけ元号の制定は余程の運が無ければ遭遇出来ないからだ。象徴天皇元号制定は政治家にとってはそれほどの名誉なのであろう、あの独裁者の安倍首相が自ら主導出来るとは、何と運の良い男なのだろうか。しかも突如に起こる崩御ではなく考えられなかった天皇生前退位だからだ。余程に用意周到に綿密に計画した事だったろう。一抹のミスも許されない状況で余りにもシビアになり過ぎ、かん口令を敷いたまでは良いが、携帯電話の所持品まで取り上げたとは、これ正に独裁政権だったからだ。だがこの独裁者、行政の停滞を危惧し過ぎて新天皇即位前の元号発表は象徴天皇に失礼だったのではと私は今でも思っている。