田原総一郎さんと立花隆さんの書斎見て私は人格を疑った

先日堺屋太一さんが亡くなったが、その時の田原総一郎さんの悔やみの言葉をテレビで見た。その時に書斎でテレビ局のインタビューを受けたんだろう。私はその書斎の煩雑さを見て強烈な印象を受けた。そのあおりで立花隆さんの書斎を思い出した。それはあの昭和の太閤事田中角栄さんの金脈を暴いた時の立花隆さんの事だった。その時のテレビ局のインタビューを受けた場所が立花さんの書斎だった。今回の田原総一郎さんの書斎と同じで勝るとも劣らない煩雑さだった。
 人間と言う動物は顔が違うのと同じように、当然に考え方も性格もそれぞれ違うのは当然の事だが、その性格の中でも、だらしなさと几帳面さは雲泥の差で全くの対極にある。私事で申し訳ないが、私はこのだらしのないのが大嫌いな性格だ。特に、このお二方の書斎の煩雑さは私は我慢がならない性格である。出来るなら、今からそのお二方の書斎に行って片づけてやりたい気持ちになる。ところがそのお二方一向に気にしない、気にならない性格のようだ。お二人には奥様もいらっしゃるだろうが、奥様の性格は解らないが、恐らくきっと、書斎には入らせず、書物も片づけてはならないときつく言われている事だろうと想像する。こういう手の人間は驚くなかれ、あの煩雑に積み上げた書物から、どこに何があるのか、解っているようだから本当に驚くより恐ろしい(笑い)私には到底出来ない。それが他人に触られてしまえば解らなくなってしまうらしい。恐ろしい人間性である。人間は生き物である。悔しさや恥ずかしさがあれば何でもやる。つまりこのお二方は私のような者が気にして恥ずかしいと思って他人に入られてインタビューを受けけようなら、確実に見せたくないから片付けるが、気にしない、気にならない性格のようだ。でも普通の人間は私のように気にならないのだろうか? 私はこのような状況を考える事だけでもストレスが溜まる人間だ。このお二方の性格そのものが信じられない気持ちと同時に、主観だが、このお二方の人格までもが信用できなくなってしまうように感じてしまう。
私だけ違うのだろうか?私だけおかしいのだろうか?
 
田原総一郎さんの書斎
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立花隆さんの書斎
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