元東大学長の佐々木毅さんのあるローカル紙に載った政治記事の紹介である

 平成最後の年の暮れを迎え、それぞれに平成論が話題になっている。最も多く耳にするのが経済の停滞した時代としての平成イメージである。昭和後期の経済が歴史に残る奇跡的な成長を実現したことを考えれば無理からぬ反応であろうが、日本経済があのようなスピードで成長し続けるはずだという想定の典型的な産物とも言える。しかし、歴史は人間にある種の想定と発想を生み出す一方で、やがて歴史そのものがそうした想定に冷や水を浴びせかける。人間はそうした中でおのれの限界を知り、歴史にもっと真摯に向かい合うよう促されることになるのではないか。
 私事ながら、私は平成元年から某紙で論壇時評を担当したこともあり、振り返ってみると、平成時代は最初から内外とも「想定外」の出来事の連続のように見えた。特に、平成元年はまさに疾風怒濤の年だった。海外では天安門事件ベルリンの壁の崩壊(冷戦の終焉)、国内では消費税という新税の導入とリクルート事件自民党参院選での大敗と単独政権の終わりなどが思い浮かぶ。そして、大納会の株価はあたかもバブルの最後の輝きを誇示するかのように、史上最高値をつけた。数十年に一回起こるかどうかという出来事が毎月のように起こり、一度提出した原稿の手直しも何度かしなければならなかった。
 冷戦の終焉は世界のグローバル化民主化を加速し、欧州を中心に政治地図は激変した。ドイツの統一と欧州連合(EU)の統合の加速、共通通貨ユーロの誕生などが矢継ぎ早に実現した。ソ連の崩壊と社会主義イデオロギーの解体という世界史的な出来事に世界中が巻き込まれ、翻弄された。
 平成時代の日本は未曽有のバブルとその崩壊、その負の遺産の後始末に追われた。土地神話の崩壊は最後には銀行の不良債権問題として顕在化し、やがて相次ぐ大小金融機関の破綻につなかった。かつ
て日本経済は強過ぎるがゆえに世界の警戒の的になったが、今や市場の脆弱な環と見なされるようになった。金融危機を通して戦後構築されてきた政府中心の護送船団方式は崩壊し、広い意味での55年体制は終わり、市場原理の貫徹と格差社会への道が始まった。民主党政権の誕生はその一つの政治的帰結であった。
 自然もまた、われわれの想定の甘さを容赦なく打ち砕いた。平成時代の「想定外」の出来事として真っ先に思い浮かぶのは阪神大震災に始まる一連の大地震、特に、東日本大震災である。東日本大震災の規模の大きさと巨大な津波、さらにそれに起因した深刻な原発事故によって多くの国民は打ちのめされた。また、これによってそれまでのエネルギー政策は根底から吹き飛ぶことになった。
 平成時代のダメを押したのが英国のEU離脱とトランプ政権の誕生という「想定外」の事実だった。かつてグローバル化の音頭取りであった米英両国が脱グローバル化の先頭に立つというのはまさしく「想定外」の事態であった。そしてグローバル化の恩恵を最も享受したのが中国であり、その急速な台頭は「想定外」の一つであった。この台頭著しい中国を巡って国際関係は新たな緊張をはらみっつある。冷戦終結30年にしてグローバル化民主化は車の両輪であるという想定は見直さざるを得なくなった。かつての先進国はポピュリスムの攻勢にさらされ余力を失い、国際関係は主導者を失って一層の不安定化を免れず、その影響は経済にも及び始めている。聞こえてくるのは不気味な地鳴りである。
 人間は予見性に従って生き、想定に従って生きる動物である。想定を持つことは当然のことである。しかし、想定の幅をどう取るかは人間の側の問題である。思い込みといわゆる希望的観測に寄り掛かる想
定もあるし、用心深く想定の幅を広く取るよう心掛けることも可能である。平成の時代は昭和後期の順風満帆な時代の想定の甘さを戒め、しっかりした覚悟を持って次の時代に臨むよう教えているように見えるが、どうであろうか。
 
 
この記事は「私の平成時代論」と題した元東大学長 佐々木毅さんの2018/12/29にあるローカル紙に掲載された記事である。
 
 
さすがである。我々凡人が思ってても書けずにいた思いを事も無げに文章にする。恐れ入ったとしか思えない。私はいつもこの佐々木さんの記事心待ちにしている。そして全国の皆さんに読んでもらいたくてこのように紹介したのである。今後も紹介していきたいと思っている。