「冷戦30年後の世界」と題した元東大学長佐々木毅さんの記事の紹介

 私が企画に関与したある国際シンポジウムが今月、東京で開催された。そこでの関心は世界の現状をどう捉えるかについて、率直に意見を交換することにあった。ここで私なりの全体的な感想を述べてみたい。
 今から30年前、人々はベルリンの壁の崩壊に狂喜乱舞し、そこに未来に対する希望を見いだそうとした。30年後の今、新たな壁の建設を唱える政治勢力が台頭している。しかも、この後戻り現象はかつて自由の旗振り役であったいわゆる西側の先進民主政が震源地である点で一段と注目に値する。2016年に欧州連合(EU)からの離脱を国民投票で決めた英国や米国第一主義を掲げるトランプ政権を選んだ米国の動向は、多くの人々を驚かせた。実際、この3年の間に自由貿易グローバリズムという言葉は輝きを失ったように見える。
 1989年の精神とでもいうべきものがあったとすれば、未来はグローバルな市場経済と民主政にありというメッセージであった。市場経済が豊かさをもたらすという言説は冷戦の終焉に先立ってレーガンサッチャーといった米英の政治家によって広められていたが、冷戦終結によって一気にグローバル化した。そこではヒト、モノ、カネの自由な移動が追求されるべき目標とされ、日本の市場の閉鎖性がしばしば日米摩擦の話題となった。
 冷戦が終わった時、自由な市場経済と民主政というこの二つの重要な社会の仕組みの関係はあまり問われることなく、西側の勝利の当然の結果として「与えられた」目標として受け入れられた。しかし歴史が証明しているように、市場経済と民主政との関係はそれほど調和的なものではなかった。89年の精神は冷戦の終焉という歴史的大事件を背景にもっぱら両者の調和的関係を一面的に説くものであった。そしてこの両者の調和的な関係を支えていた要因が経済成長という現実であった。
 この冷戦後の第一ステージは市場の混乱と経済の停滞とともに終わりを迎える。欧米諸国を襲ったリーマンショツクやユーロ危機は中下層階層がいかに経済成長から取り残されているかを浮き彫りにし、格差問題と社会の分断への関心を喚起した。
 これが左派ポピュリズムの台頭を招き、米大統領選の民主党候補争いにおけるウォーレン氏やサンダース氏などの左派候補の善戦につながっている。欧州では中東からの大量の難民が押し寄せ、人々の社会的・文化的危機感を刺激した。多数派のアイデンティティー・ポリティックスが覚醒され、そこから右派ポピュリズムが台頭してきた。こうした中でグローバリズムを掲げてきた中道政党は急速に勢いを失い、ポピュリズムの影響は無視できないものとなった。かくしてわれわれは民主政とグローバリズムとの非調和的関係を念頭に置いた、冷戦後の第二ステージの真っただ中にいることになる。
 この第二ステージにおいてかっての先進国は国際秩序の主導的担い手としての役割を果たせなくなり、国際関係は流動化と不安定化に見舞われている。日本に対する国際的な関心が高まっているのは事実であるが、その多くは他の主役の退場の結果である。旧先進国は一方で強大化しつつある独裁政権と対峙しつつ、他方でポピュリズムを抑え込まなければならない。多くの識者によれば、先進民主政におけるポピュリズムの根底にはさまざまな恐怖感が横たわっているという。すなわち、将来の生活展望に対する絶望感、移民やAI技術などによって職場が奪われるのではないかという恐怖感、文化的・社会的異質性に対する恐怖感など、事欠かない。ポピュリズムを抑制するためには、これらの恐怖感にある程度応答する必要が出てくる。
 日本はこうしたポピュリズムに無縁のように見えるが、その秘密は102兆円の予算に見られる、巨額の財政赤字に目をつむる大盤振る舞いにある。それはいわば、日本型ポピュリズムとでもいうべきものである。しかし、その危うさは今更述べるまでもない。かくして先のシンポジウムでは欧米側出席者の危機感の強さを改めて感じる機会となった。(元東京大学学長)


これ「冷戦30年後の世界」と題したあるローカル紙の2019.12.30の朝刊の記事である。


毎週恒例の佐々木毅元東大学長の記事である。
私はファンだから毎週この記事が楽しみである。
皆さんに読んで頂きたくて紹介した。次号もこうご期待!