京都の公立高校が先生の「働き方改革」のため通知票の担任所見欄をなくすの報に聖職はもうなくなったのか?

 先生の「働き方改革」のため、通知票の担任所見欄をなくします――。京都府木津川市の府立南陽高校が今年度から、各学期末の通知票に担任が書いていた「所見」を廃止した。長時間労働の是正が課題となっている教員の負担を減らすのが狙いだ。
 同校では通知票に、成績のほか、生徒の学校での様子などの「所見」を担任が記していた。最大で1人150字。毎学期末に1クラス約40人分を書き込む作業では、熱心な教員ほど生徒ごとに同じ文言を使わないようにするなど、時間をかける傾向があったという。
 越野泰徳校長は、考える負担が大きいと判断し、廃止を決めた。大学出願の際に提出する調査書の元になる「指導要録」は従来通り作成するため、生徒に対する評価がおろそかになることはないとしている。
 
 
これ「通知票の担任所見やめます 教員の負担減へ、京都の高校」と題した朝日デジタル11/3() 5:10の配信記事である。
 
 
何で教師ってそんなに忙しいのだろう?
教育にはノルマが無いだろうから、教師一人一人の性格がかなり影響し、生徒に対して真面目な教師ほど忙しいのではと考える。がそれも大学進学校に限るのではとも思える。教師と言う聖職を望んだ結果と言えばそれなりに理解してるのではとも思う。
 そう言う観点から考えれば、この記事の高校のその選択はおかしいのではと私は思う。一週間の一科目の授業を減らしてでも、生徒一人一人の期末の通知票の「所見」は一番大事な教育の課程ではないのかと思うからだ。教師が高校生と対で向き合いその生徒の学期末の評価の集大成だからである。まして高校生とは人生片道切符の一番大事な成長過程の第1歩だからである。
戦後の経済復興を担ったとの自負のある我々団塊の世代にはそもそも「働き方改革」の観念は薄い!