戦後の1大疑獄に近いと思われる「モリカケ」問題さえ説明出来ないトップが三度(みたび)我日本国の宰相に選任されようとしている これでは今の子供たちに今後を何と言って教えれば良いのか?

 安倍晋三・首相は再登板以来、メディアの幹部と積極的に会食し、懐柔の手段としてきた。新聞・テレビの論説委員クラスや政治評論家には、総理との食事に招かれただけでコロッと参ってしまい、政権のスポークスマン役を買って出ている者が少なくない。
 安倍首相のメディア対策が歴代首相に比べて効果をあげているのは、大手メディアの社長や会長と個別に宴席を囲む“社長懇”を慣例化したことだ。この1年を見ても、42日にパレスホテルの宴会場「桔梗」で渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆、福山正喜・共同通信社社長(当時)、熊坂隆光・産経新聞社会長らと食事したのをはじめ、日本テレビの大久保好男社長、日経新聞の喜多恒雄会長、岡田直敏社長と個別に会合を持った。
 首相の政治指南役とみられている渡辺氏(6回)と日枝久・フジテレビ相談役(2回)は別格にしても、共同の福山社長は3回も食事している。政治アナリストの伊藤惇夫氏が指摘する。
「総理が論説委員や各社の官邸キャップとその時々の政治テーマについて懇談するのは歴代内閣で行なわれてきた慣例で、記者にとっては取材活動です。しかし、安倍首相が社長懇を開くようになって、現場の記者は政権を強く批判すると社長に迷惑を掛けると忖度して記事を書くようになった。それが安倍さんのメディア操縦の巧妙なところです」
 政治評論家の田崎史郎・元時事通信社特別解説委員(2回)などとくに首相に近いとされる各社の論説委員OBたちは、首相から会食に誘われた回数でいかに政権に食い込んでいるかを競い合っている。
 もちろん、政官財界からマスメディアまで権力に群がるのは今に始まったことではない。だが、安倍首相は性格的に「敵」と「味方」を選別し、待遇に差を付ける。この政権の「お友達政治」の本質は、インナーに入れなければ排除され、政権の便宜も重要な情報も一切得られなくなることだ。
 安倍氏にとって、会食やゴルフはそのための踏み絵でもある。「敵」と見なされれば最初から排除される。大手新聞社の経営トップでは、朝日新聞の社長は20137月に首相と1回会食しただけで、その後は動静には一切登場しない。※週刊ポスト2018914日号
 
 
これ「安倍首相 メディア幹部と積極会食し巧妙に操縦、その参加者」と題したNEW ポストセブン9/6() 7:00の配信記事である。
 
 
この“社長懇”に登場しないのは何も朝日だけではない。毎日や時事等もそうである。しかし、マスコミ界も落ちたものである。こんな事やってて公正な記事書けるのか? マスコミ界だけでない。当局の官邸も最低である。官邸の安倍首相はじめ、官房部局の人間には人間としての気配りは無いのか? 普通いくら権力を持ったとしても、その権力には昔からそれなりの「鷹揚さ」があったものだが、最近の権力者にはそれが無いみたいだ。だからこそ色んな問題への対処の仕方が何かぎこちなく他人行儀になってしまうのだろう。それがないから、言い換えれば物事に対する思いやりが欠けているから、ちょっとした小さな物事が上手く処理出来ず、「モリカケ」みたいな問題が起こるのだろう。時代の流れと言えばそれまでであろうが、要は「人間として自分の嫌いな事は他人にしない」と言うような人間としての最低の基本が備わっていないように感じられる。本当にこれは不幸な事である。それに気付かず理解出来ないような安倍首相が三度(みたび)我日本国の宰相に選任されるとしたなら、日本人として、日本のこれからの若い世代に何と言って教えればよいのか解らなくなって行く気がしてならない。