安倍政権のスポークスマンの菅官房長官のあの会見態度は何様か!何故新聞記者抗議しない?!

 安倍官邸が報道に対してまたも卑劣な攻撃に出た。官邸は1日、菅義偉官房長官の会見で孤軍奮闘する望月衣塑子記者が所属する東京新聞に対し、書面で注意喚起をおこなったというのだ。
 産経新聞の記事によると、官邸が問題にしているのは〈加計学園が計画する獣医学部施設の危機管理態勢をただす中で「(計画に対する)認可の保留という決定が出た」と言及した〉件だという。
 これは825日の午前におこなわれた会見を指していると思われるが、この日、望月記者は、森友問題の土地写真や音声データが出てきたことや、加計学園の特区ワーキンググループの議事要旨の改竄疑惑について追及。そのなかで、菅官房長官にこのように質問している。重要な問題なので、発言をそのまま紹介しよう。
「最近になって公開されています加計学園の設計図、今治市に出す獣医学部の設計図、52枚ほど公開されました。それを見ましても、バイオセキュリティの危機管理ができるような設計体制になっているかは極めて疑問だという声も出ております。また、単価自体も通常の倍くらいあるんじゃないかという指摘も専門家の方から出ています。こういう点、踏まえましても、今回、学校の認可の保留という決定が出ました。ほんとうに特区のワーキンググループ、そして政府の内閣府がしっかりとした学園の実態を調査していたのかどうか、これについて政府としてのご見解を教えて下さい」
 どこをとっても当然の質問だが、菅官房長官の返答は、手元の紙をただ読み上げるだけのものだった。
「まあ、いずれにしろ、学部の設置認可については、昨年11月および本年4月の文部科学大臣から大学設置・学校法人審議会に諮問により間もなく答申が得られる見込みであると聞いており、いまの段階で答えるべきじゃないというふうに思いますし、この審議会というのは専門的な観点から公平公正に審査している、こういうふうに思っています」
「まあ、いずれにしろ」の、何が「いずれにしろ」なのか、と問い詰めたくなる人を喰ったような態度で、内容も質問の応答にはまったくなっていない。
 しかし、この質問に対して今回、官邸は〈獣医学部の新設計画は大学設置・学校法人審議会が審査し、答申を受けた文部科学省が認可の判断を決めるが、この時点ではまだ公表されていなかった〉(産経新聞記事より)ことを問題視。東京新聞へ宛てた書面で、こう注意したという。
「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」
■官邸の注意喚起は、東京新聞・望月記者の口封じが目的
 これはまったくおかしい。たしかに、文科省の設置審が獣医学部新設を認可保留としたことを公表したのは、この会見がおこなわれた日の午後だ。しかし、設置審が開かれたのは89日であり、同じ日にNHKが〈実習計画などが不十分で課題があるとして、認可の判断を保留する方針が決まり、今月末に予定されていた大臣への答申は延期される見通し〉と報道。NHKのみならず新聞・テレビは一斉に同様の報道をおこなっている。この官邸の注意喚起を嬉々として伝えている産経だって、810日付朝刊一面で「設置審、加計獣医学部の判断保留」と報道していた。政府もこの間これらの報道を否定していない。
 つまり、設置審の判断はすでに広く事実として報じられてきたのに、官邸は25日午前の会見の段階では文科省がまだ正式に公表していなかったことだけをもって「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答」などと非難しているのだ。
 こんなバカな話があるだろうか。設置審が認可保留としたことは「未確定な事実」でも「単なる憶測」でもまったくない。いや、官邸の主張を認めれば、それが事実でも正式発表があるまでは質問できないということになる。
 これは明白に「報道の自由」に対する圧力であり、断固として許されるものではない。全メディアは官邸に抗議をおこなうべきだし、無批判に官邸情報そのままに伝える産経新聞には恥を知れと言うほかない。
 いや、そもそも「未確定な事実」や「単なる憶測」と言って質問を封じるということ自体がおかしい。この官邸の言い分がまかり通れば、独自で掴んだ情報も「未確定な事実」や「単なる憶測」とされ、政府が認めていることしか追及できないということになってしまうからだ。実際、望月記者が登場するまえの、菅官房長官と官邸記者クラブの会見はそうだった。
 しかも、今回の官邸の行動がもっとも悪質なのは、東京新聞の望月記者をターゲットにし、望月記者を黙らせる目的なのがあきらかであることだ。
 
■日本政府の対応を問うた望月記者に、菅は「北朝鮮金正恩に訊け」
 望月記者といえば、831日の会見で「金正恩の要求に応えろ」と質問したとして、ネトウヨが大バッシングを展開。産経もコラム「産経抄」で〈弾道ミサイルを連射しているのは、北朝鮮のほうなのに〉〈こんな平和ボケを治すには、やはり憲法改正が一番だろう〉などと望月記者を攻撃した。
 だが、このときの望月記者の質問は、ミサイル発射を肯定したわけでも何でもない。実際は、「アメリカが米韓合同演習をつづけていることが金委員長のICBMの発射を促しているといるのでは」と指摘した上で、「アメリカ側と、もしくは韓国側の対応のなかで合同演習の内容を、金委員長の要求に応えるように、ちょっと冷静に対応するようにと、そういう働きかけは日本政府はやっているんでしょうか」と質問しただけだ。
 米韓合同演習が北朝鮮を刺激している面があることは専門家も指摘していることであり、それについて日本政府がアメリカや韓国に対してなんらかの働きかけをおこなわないのかという質問は、ごく基本的な質問である。
 むしろ批判されるべきは、この望月記者の質問に対する菅官房長官の返答のほうだろう。
「我が国としては対話と圧力、行動対行動(という)基本姿勢のもとに日米の強力な同盟のなかで国民のみなさんの安全安心は守っていく」という、例によって質問の回答にまったくなっていない空疎なテンプレを口にしたうえで、菅官房長官はこう言い放ったのだ。
北朝鮮の委員長に聞かれたらどうですか」
 質問者の発言を「全く問題ない」「指摘はあたらない」などと全否定してまともに応じない“スガ語”が、結局、ただ都合の悪い事実を遮断するための語彙にすぎないことは一連の加計問題などで国民に完全にバレてしまっているが、今度は日本政府の対応について「北朝鮮金正恩に訊け」ときた。88日の会見でも望月記者の追及に対し「ここは質問に答える場所ではない」と吐き捨てていたが、もはや「ノーコメント」の“言い換え大喜利”か何かかと言いたくなる。
 このように質問に答えず「全く問題ない」「指摘はあたらない」を繰り返すだけの意味のない会見で、執拗に食い下がり、菅官房長官が嘘を強弁しているだけであることを国民に広めてきたのは、ほかならぬ望月記者だ。菅官房長官が木で鼻をくくったような返答をしても、まったく怯むことなく、手を替え品を替え質問をつづけてきたからこそ、実態が浮き彫りになったのだ。
 そのことを菅官房長官はじめ官邸が疎ましく思っているのは、会見を見ていればすぐわかる。だからこそ今回、いちゃもんをつけて露骨に望月記者と東京新聞に圧力をかけてきたのだ。
 だが、望月記者のように菅官房長官の強弁に食い下がる記者がいなくなれば、どうなるか。空気を読み、悪目立ちしたくないという記者たちが、決定事項や政府見解を確認するだけという無意味な会見に戻るだけだ。そして、官邸の圧力に屈し、独自情報や週刊誌報道などを基にした質問を自主規制するようになれば、政府の言い分だけが垂れ流される状態になるだろう。それが民主主義を名乗る国のジャーナリズムか。
 しかも現在のところ、産経が官邸の言い分を垂れ流しているだけで、この官邸の不当な圧力を批判的に報じている新聞はない。もう一度言うが、メディアは今回の官邸の行動に対し、報道の自由に圧力をかける卑劣なものだと即刻抗議するべきだ。それをしないのであれば、この国のメディアはジャーナリズムを捨てたに等しいだろう。(編集部)
 
 
これ「安倍官邸が東京新聞と望月記者に不当抗議! 官房長官への厳しい質問封じを狙い撃ちした卑劣な言論弾圧を許すな」と題した「本と雑誌の知を再発見のLITERA 2017.09.02の記事である。
 
 
戦後ずーっと首相官邸のスポークスマンの官房長官の日1回の会見は、パフォーマンス的に、おざなりの形式にのっとってやって来たが、東京新聞の新米政治記者の望月衣塑子記者の度重なる質問に対して菅官房が「堪忍袋の緒が・・・」が正直なところだろう。我々国民にとっては、そうだそこを聞いてくれと言うような質問で、菅官房の方が答えにくいと言うよりは、記者の方で、気を遣いそれなりの「あうん」の呼吸でやって来た言わば出来レース的慣習質問を、この望月衣塑子記者は知らなかったからと言えるが無理もない。元々は社会部の記者だったからである。
それにしても政治に興味をもって戦後政治を何10年も見て来た私でも、この安倍政権の菅官房の会見は何様かと思えるほどふざけた質問回答である。この東京新聞の新米政治記者の望月衣塑子記者ではないが少し酷過ぎる。良くこの新聞記者連中政府に抗議しないのかと思えるほどである。だらしない記者連中である。まるで安倍首相の「森友・加計学園問題」で忖度した役人以上に忖度してる政治部記者たちである。菅官房のあの質問する記者を指名する態度は私だったら反吐が出るくらい嫌いで見苦しいと思う。あれが安倍政権の姿だと思えば「なるほどと納得」である。こんな政権はあの姿を見れば、もはや国民目線をかなり外れてる。何故皆そこまで政府に気を遣うのか。私だったら「何を言うか」と一喝するのだが。情けない新聞記者たちである。