豊洲市場移転問題は現状の疑惑解明も必要だが、築地の老巧化が何で豊洲になったのかの解明も必要だ!

 豊洲市場(東京都江東区)の土壌汚染対策を巡り、石原慎太郎氏が都知事在任中の二〇〇八年、地下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたことを受け、当時の都中央卸売市場長の比留間(ひるま)英人氏が十五日、本紙の取材に応じ、「石原氏から『こんな案があるから検討してみてくれ』と指示を受けた」と明かした。当時のトップが専門家の方針に反し、盛り土をしない工法を模索していたことが裏付けられた。 (中沢誠)
 土壌汚染対策を検討する専門家会議は〇七年五月、豊洲市場予定地の地下利用について「有害物質が建物内に入る恐れがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘。〇八年五月十九日、土を入れ替えて盛り土にする方針を決定した。しかし、石原氏は同月三十日の会見で盛り土案に疑問を呈し、地下にコンクリートの箱を埋める工法があると説明。こうした経緯について、本紙は十五日朝刊で報じた。
 比留間氏は地下にコンクリートの箱を埋める案について、石原氏から指示を受けたと認め、時期を〇八年五月ごろと証言。「私の記憶では、工費や工期を検討した。しかし、かなり工費が高かった。〇九年一月か二月ごろ(別の専門家による)技術会議で工法内容がまとまり、石原氏にコンクリート箱案は採用できないと伝えた」と述べた。
 結果的に都が採ったのは掘削して壁を設ける地下空間案だが、地下に構造物を設ける点では石原氏のコンクリート箱案と共通する。比留間氏は「石原氏の指示で、都の地下空間案が影響を受けたとは思わない。当時は土壌対策費が一千億円を超えるとも言われ、石原氏は工費を抑えるため提案した」とも述べた。
 さらに「安全確保が最大の課題だった」と振り返り、地下空間は「地下水のモニタリングをする空間として必要だった」と説明。ただ、高さ四・五メートルもの広い空間となったことについては意外だったとした。
 豊洲市場はガス製造工場の跡地で、ベンゼンなど高濃度の有害物質を検出。都は専門家の提言に基づき、敷地を二メートル掘削するなどして四・五メートル盛り土をしたなどと説明、土壌対策費は八百五十八億円となった。しかし小池百合子知事が今月十日、主要な建物の下に盛り土がなされず、地下空間があることを公表した。
 
◆「役人の情報取り次いだだけ」石原氏が釈明
 石原慎太郎氏は十五日、知事だった二〇〇八年五月の定例記者会見で、豊洲市場の建物下にコンクリートの箱を埋める案に言及したことについて「都庁の役人からそういう情報を聞いたから、そういう意見があると取り次いだだけ」と述べた。報道機関の取材に答えた。
 石原氏は「全部、下(都職員)や専門家に任せていた。建築のいろはも知らないのにそんなこと思い付くわけがない」と釈明した。
 一方、同氏は「急に設計事務所を変えたことで、盛り土をやめて(建物の)下に訳の分からないものをつくった。恐らく盛り土をするよりも経費がかかり、ゼネコンがもうかる」と持論を展開。盛り土がなかった問題について感想を求められると「東京は伏魔殿だ」と気色ばんだ。
 
◆石原氏08年の発言
 担当の局長に言ったんですがね。(インターネットで海洋工学の専門家が)もっと違う発想でものを考えたらどうだと…(略)…コンクリートの箱を埋め込むことで、その上に市場としてのインフラを支える、その方がずっと安くて早く終わるんじゃないかということでしたね。土壌汚染をどう回復するか、そういう発想だけじゃなくてね、思い切ってものを取り換えるみたいな、違うベクトルというものを考えた方がいいと、私、かねがね言ったけど、それがどう伝わったのか。
 
豊洲市場地下空間をめぐる経過
2008年  
5月19日 専門家会議が盛り土案の方針を決める
5月30日 石原氏が会見で地下にコンクリートの箱を埋め込む案を「担当の局長に言った」と説明
5月ごろ 都中央卸売市場長が石原氏からコンクリート箱案検討の指示を受ける
7月26日 専門家会議が盛り土の上に建物を造るよう都に提言
8月15日 技術会議が初会合
11月5日 技術会議で都が地下に空間を設けて駐車場などに利用する公募案を紹介
12月15日 技術会議で都が汚染地下水の浄化作業用空間を確保する案を提示
12月25日 技術会議で駐車場案が不採用になる
2011年   
6月   設計図面に地下空間を造ることが記載される
 
 
これ『豊洲地下問題 コンクリ箱案「石原氏が検討指示」 当時の都幹部証言』と題した東京新聞916 0706分の報道記事である。
 
 
 なぜ専門家会議が提言した「盛り土」が行われず、地下に空間がつくられたのか――。東京都の豊洲市場問題の大きな焦点だ。石原慎太郎都知事は、「私はだまされた」「他人任せにしてきた」などと呆れた発言を繰り返しているが、当時の状況を調べてみると、工法変更の裏に経営危機に陥った「石原銀行」の存在があった。慎太郎氏の責任は重大だ。
 豊洲市場予定地で環境基準の4万3000倍という高濃度のベンゼンが検出された08年5月。土壌汚染対策について当時の慎太郎知事は定例会見でこう発言している。
〈もっと費用のかからない、しかし効果の高い、そういう技術があるかもしれない〉(08年5月16日)
〈技術的なことをリサーチするのは私たちの責任。いたずらに金をかけることで済むものじゃない〉(08年5月23日)
その年の7月に専門家会議の最終報告で「盛り土」が提言されるのだが、それまでの過程で慎太郎氏が、汚染対策にかかる“カネ”をしきりに気にしていたことがわかる。安全よりも工費優先か、とツッコミたくなるが、費用を抑えるのは都民のためじゃない。ズバリ“保身”だ。
 
■1400億円救済で針のムシロだった
 都庁の内情に詳しいジャーナリストの広野真嗣氏がこう言う。
「専門家会議の最終報告を愚直にそのまま実現しようとすると、費用は1000億円を超えると推計されました。タイミングの悪いことに、その直前の08年3月の都議会で経営不振だった『新銀行東京』について、1000億円の減資と400億円の追加出資を決めたばかりだった。そのため当局は、豊洲の土壌汚染対策について、新たな財政支出をなるべく抑えた上で、効果的な方法を模索せざるを得なくなったのです」
 
 慎太郎氏の“肝いり”で05年4月に開業した「新銀行東京」は、計画段階から都庁内で「自治体が税金を投入して銀行を経営して大丈夫なのか」と懸念された通り、多くの融資が不良債権化し、わずか3年で1016億円の累積赤字に転落した。事実上の倒産状態を救済するため、東京都は08年3月の議会に1000億円の減資と400億円の追加出資を提案。議場にヤジと怒号が飛び交う中、慎太郎氏が「都民の皆さまに、深くおわび申し上げます」と頭を下げ、提案を通してもらったのだった。
 1000億円の血税をドブに捨てた直後で、針のムシロの慎太郎氏だ。これ以上、都民に批判されないよう、豊洲問題でさらなる1000億円規模の支出は何としても避けたいと考えたのは、想像に難くない。
「そもそも石原知事は豊洲市場のことに関心がなかった」(都庁OB)という声もある。都民のための「食の安全・安心」にカネをかけるより、自分のメンツが大事。やはり豊洲問題の真犯人はこの男だ。無責任な態度は許されない。
 
 
こっちは『食の安全より保身…石原元知事が「盛り土」ケチった事情』と題した日刊ゲンダイ918日の記事である。
 
 
 恐らく日刊ゲンダイの記事の通りであろうと思う。全てがお役所仕事だ。お役所と言う体質上都民サービスが第一だが職員の好き嫌いで物事に差を付けてはならないが、築地と言う性質上、大事な懸案事項でありながら直接即跳ね返ってくる物でなく、職員や知事を含めてそんなに興味のある事業ではなかったのではないか、しぶしぶの感が知事を筆頭にあって、そんな「金食い虫」ぐらいにしか認識してなかったのではなかったか。今思えばそんな気がする。だとするなら、最大の被害者は都民の台所を預かる築地の業者たちである。築地の老巧化が何で豊洲になったのか、発端の青島幸男(逝去してるが関係者から)さんを含めた歴代知事に検証しなくてはならないだろう。
いづれにしても、裕福だった東京都を、自分の都合で設立した「新銀行東京」の失敗により枯渇させたしわ寄せが「豊洲」に行ったのだったとしたら、これは「疑獄事件」として扱わなくてはいけないだろう。全ての責任は石原慎太郎都知事にあるは明白である。彼は決して被害者では無い!