富山市議会の政務活動費不正問題なんと議員の小粒になった事か

 「辞職ドミノ」で揺れる富山市議会の政務活動費不正問題。自民会派前会長で元議長の中川勇氏(69)が、市議計8人の辞職・辞職表明が相次ぐ異例の事態となった後、初めて朝日新聞の取材に応じた。不正のきっかけは議員年金の廃止で「老後の心配があった」と語った。一方、カネは遊興費などに消えていた。
 中川氏によれば、政務活動費(旧政務調査費)の不正を始めたのは2011年。地方議会の議員年金がこの年に財政難で廃止され、「辞めて老後の生活をどうするか心配になった。このままじゃダメだと思った」。このとき当選5回。酒席など付き合いにかかる費用もかさんでいた。自宅を大規模改築したことに伴うローン返済も、月19万円と重くのしかかっていた。
 旧知の印刷会社から白紙領収書の束をもらっていたことを思い出した。チェックを受けることもなく、不正は簡単にまかり通った。
 会派によると、確認できた中川氏の最初の不正は11年4月の市政報告会の際にかかったとする印刷代11万4千円の架空請求だ。その後も印刷会社の白紙領収書に架空の金額を記入し、政活費を不正請求する手口が多用されていた。最初の11年度、中川氏の不正取得額は約124万円。翌12年度も約114万円に達した。中川氏によると、手口は04年ごろ、別の元市議(故人)に教わったという。
 「飲むのが好きで、誘われたら断れない性格」。特定の店だけだと自身の評判に関わると考え、最低3、4軒は顔を出すようにした。帰宅は未明。一晩で何万円も消えていった。
「飲むのはやめようとは思わん。いまも毎日缶ビール1本と酒3合を飲む」
 遊興費、自宅リフォームの借金返済、生命保険料、さらに、議員年金に代わる老後の備えとして11年夏に始めたドル積み立て(月7万円)も負担になった。
 やりくりが困難になり、2年前に自宅を手放した。
 年100万円超の不正取得を繰り返す一方、議員報酬引き上げを訴え続けた。
 議員年金廃止前は、個々の議員の掛け金(月約10万円)に加えて、市が1人につき月約10万円の公費負担をしていた。議員年金という保障がなくなったのだから、廃止されたその分を報酬に上乗せしてもいいのではと考えたという。
 今年6月の市議会。自身が会派会長を務める自民などの賛成多数で議員報酬を月額60万円から70万円に引き上げる条例案が可決された。批判が高まる中、メディアの取材に現在の報酬では苦しいことを強調した。
 だが8月、自らの不正が暴かれ、市議会を去った。
 もし不正が発覚しなければ――。来春の市議選に出て、4年後に引退する考えだった。その時点でたまった10年分のドル積み立てを取り崩しながら、老後を過ごそうと思い描いていた。
 今月に入り、不正額に利息を含めた約875万円を市に返還。老後の蓄えになるはずだったドル積み立ては、これで吹き飛んだ。
 「返還したから終わりとは思っていない。ずっと背負っていかないと。お天道様は必ず見とる」
 今後について「政治に意欲がないわけではない」と未練をみせつつ、「世間は甘くない。政界引退という形にならざるをえない」と語った。(吉田真梨、青池学)
 
 
これ『「老後の生活が心配で」富山市議会の不正、元議長が証言』と題した朝日デジタル
9190509分の報道記事である。
 
 
 考えてみればこの方々公私の区別がついていなかった。民間の会社務めもした事が無かったのだろうか。少なくともこの富山市議会に限らず、全国の議員や、行政職の役人までもが、このように麻痺してるのではないか。少なくとも自腹が痛まない方法に吸い込まれているとしか思えないのである。ある意味氷山の一角だろう。人間生まれてから一人前になるまで何を見て育つかと言えば、殆どの子供たちは親の背中を見て育つ。と言う事は彼らの両親はそれらの常識を持っていなかった?と言われるだろう。彼らのそれ以後の話を聞くに、それは悪い事と知りつつやってしまったと言っている。と言う事はかなり弱い人間と言う事にもなる。損得の解らない人間ではないが、今の交通ルールで警官に見つからなければと言う考えがちらつく。でもバカな事に、やってしまった不正の代償としてちゃんと返済してる事である。こんなアホらしい事はない。だって返済するくらいなら何故やったと言うしかないのである。そのくらいの考えで何故やったのだろうか。何故もっと知恵を働かしてやらなかったのか。彼らは余りにも人が良すぎるし、悪い事の出来ない連中だったのだろう。こんなのは議員になっても良い事も悪い事も出来ない人間で、所詮人の先に立つことも出来ない連中だ。早めに解って良かったと言える。このように書くと、私は悪い事も出来ないようなヤツは使い物にならないと言ってるようだが、正にその通りである。やはり人間は良い事も悪い事も出来るような人間でないと務まらないと言える。特にそれの言えるの国会議員だ。国会議員はウソつけなければ議員と言えないといえる。つまり本当にウソをつけとと言う事ではなく、それだけの覚悟をもって事に当たれと言う事なのである。今の世それだけの肝の据わった御仁はいない。まそれだけ小粒になったという事であり、今後の政治の行方いささか心配である。