安倍政権の大臣(鶴保庸介氏)が人間としてあるまじき行動 身体検査以前の問題だ

 鶴保庸介氏(49)は政治家生活19年目の今年8月、沖縄・北方担当相として初入閣した。かつては野田聖子元郵政相との事実婚でも知られた人物だが、その自民党ホープの奇妙な結婚→離婚劇について、819日発売の週刊ポスト92日号)が報じている──。
 和歌山県北部の農村地帯。のどかな村の一軒家を訪れた記者に、憤った様子で語り始めたのは鶴保氏(49)の元妻・萩原美穂さん(仮名・31)の親族だ。
「子供が好きな美穂にとって待望の第一子でした。ところが、出産後に待っていたのはあまりに辛い仕打ち。鶴保さんは一方的に妻子を捨てたのです……」
 そう言って声を詰まらせた。
 鶴保氏は東大法学部卒業後に小沢一郎氏の議員秘書となって政治家の道を志し、1998年の参院選自由党公認で和歌山選挙区から出馬し初当選。31歳での当選は当時の最年少記録だった(2003年に自民党入り)。同じ和歌山県に地盤を持ち、安倍首相も頭が上がらない陰の実力者と言われる二階俊博・幹事長の側近中の側近として知られる。
 物腰が柔らかいイケメンでかつては“永田町のプレイボーイ”と呼ばれた鶴保氏は、2001年から7歳年上の野田氏と事実婚状態に入り、翌2002年、帝国ホテルで盛大な結婚祝賀パーティを開いた。
「ぞっこんだったのは聖子さん」というのは当時を知る自民党女性議員の評だが、2人は夫婦別姓を提唱する野田氏の方針で入籍はしなかった。そのことが“国会議員同士の事実婚”として注目された。2006年には「ナイス・カップル大賞」を受賞する。だが皮肉にも同賞を獲得したその年、事実婚は終わりを迎えることになる。別れの理由は長年の不妊治療だった。
「子供ができない」という理由で野田氏と別れた鶴保氏。しかしその後、美穂さんと結婚し、待望の第一子を授かった。だが、それは野田氏との別れとは全く違った形で終わりを迎えていた。
 
◆入籍の前に「離婚届」
 美穂さんが鶴保氏と出会ったのは2011年頃。当時26歳だった美穂さんは、東京でメディア関係の仕事をしており、鶴保氏とは同じ和歌山県出身の共通の知人の紹介で知り合ったという。18歳の年齢差があったが、美穂さんは鶴保氏の人柄に惹かれてほどなく交際が始まった。
 しかし2人の間には2013年の夏頃から微妙な空気が流れるようになる。ちょうど美穂さんの妊娠が判明したタイミングだった。
 当時、前出の親族は、美穂さんからたびたび相談を受けていたと明かす。
「つわりで苦しんでいても優しい言葉をかけてくれないと、泣きながら電話してきたこともありました。美穂の両親も心配していましたが、ちょうど鶴保さんが国土交通副大臣をやっている時でしたから、美穂は心配させないように“あの人も忙しくてストレスがたまっているだけだから”と庇っていました。しかし9月末に副大臣を退任しても、様子が元に戻らなかったようです」
 結婚秒読みと思われた2人の関係は、この頃からおかしくなっていった。美穂さんが入籍を求めても、鶴保氏に応じる様子はなかったという。
「たまりかねた美穂は最初の紹介者を交えて、10月に鶴保さんと3人で話し合いを持ったようです。ところがその席で、鶴保さんは美穂に“婚姻届を出すなら、離婚届も書いてほしい”と言い出したんです。驚いた美穂は人目もはばからず号泣したそうです。それでも鶴保さんは頑としてその条件を譲らなかったようです。結局、美穂はもうすぐ生まれる子供のことを考えて、泣く泣く離婚届にも署名捺印したと言っていました」(同前)
 美穂さんが離婚届を書いても、即入籍とはならなかった。2人が入籍したのは、年を越した翌2014年の2月上旬だった。
 その日は美穂さんの29回目の誕生日だった。大阪市内のホテルで大きくなったお腹を抱えて記念写真を撮ったあと、鶴保氏の実家がある大阪市に婚姻届を提出した。子供が生まれる3週間ほど前のことである。
 盛大なパーティを開いて、政財界の大物から祝福された野田氏との結婚とは対照的に、地元でもほとんど知られていない“極秘入籍”。それでも野田氏との事実婚と違い、2人は戸籍上も夫婦となった。
 
◆子供に会ったのは34
 美穂さんは2月末に男児を出産、鶴保氏も国会会期中の忙しい時間を縫って出産に立ち会ったという。しかし、その2か月後、美穂さんや親族を仰天させる出来事が起こる。鶴保氏が美穂さんに断りなく離婚届を出していたのだ。
 あらかじめ美穂さんが〈離婚届不受理申出書〉を提出していたため、鶴保氏の提出した離婚届は結果的に不受理となった。親族がその後のことを振り返る。
「さすがに美穂の両親も“こんな人とは別れた方がいい”と離婚を勧め、美穂自身も気持ちを固め、弁護士を立てて離婚協議を始めたんです。話し合いは難航したものの、201410月に慰謝料不要、月額8万円の養育費を払うという条件で協議離婚が成立しました」
 ところが、最後まで鶴保氏の行動は解せないものだった。
「養育費の支払いが昨年の秋に何の連絡もなくストップしてしまったんです。出産後、鶴保さんが子供に会ったのも34回程度。彼には父親としての自覚や責任感はまったく感じられません」(同前)
 以上が、鶴保氏が閣僚入りする前に彼の私生活で起きていた出来事である。結婚や離婚には当人同士にしかわからない事情があるだろうし、(野田氏との結婚がそうであったように)その形も様々である。だが、入籍・出産から離婚届の提出までわずか2か月という経緯に、美穂さん側が不信感や憤りを抱くのは当然だろう。
 鶴保氏の真意を聞くべく、本誌記者が電話をかけると結婚と離婚、子供の出生については「事実です」と認めたうえで、「あとは文書で答える」とした。
 婚姻届の際に離婚届を書かせていたことや、入籍からわずか2か月後に妻の承諾もなく離婚届を出した理由、毎月8万円の養育費の支払いが止まっていることについて問うと、以下の文書回答があった。
「離婚の事実には相違ありませんが、細部にわたっての経緯や現状については、プライベートな部分につき、当方は何もお答えする用意はありません。相手は一般の方で新たな生活もあることですので、温かくお見守り頂ければありがたいと思います」
 美穂さんの実家を訪ねると、本人に代わって両親が対応した。2歳の孫を祖父母として支える存在だ。
「結婚から離婚に至るまでの経緯は事実です。鶴保さんのことは何一つ信用できなかった。もう彼とは関わりたくありません」
 
 
これ「鶴保庸介沖縄・北方担当相が捨てた18歳年下妻と2歳の息子」と題した週刊ポスト201692日号記事である。
 
 
 
 週刊誌の記事だが、本人が否定してないところをみると、真実なのだろう。しかし、こんな男も良くここまで生き永らえたとは思うが、この男を信じた野田さんはじめこの元妻・萩原さんと言う方々男を見る目がからっきしなかったと言う事でもある。こんな男良く国会議員でいたと言うより、人間失格であると同時に議員歳費を含め、国会議員と言う肩書に我々の税金1億円も良くやったものである。こんなカネほど惜しいものは無い。こう言うのは早くタダの人にして、今まで使わせた議員歳費等返させてもまだ足りない。抹殺すべきだろう。