今の政治は何故こうも他人的なのか 良し悪し別に故田中角栄首相のような指導者が待たれる

日本海側にも新幹線」の見出しが朝刊1面に躍ったのは1973年8月29日のことだった。時の田中角栄首相が秋田県小畑勇二郎知事に新潟-秋田-青森を結ぶ日本海新幹線の建設を確約したことを報じている▼当時は東北新幹線の盛岡以北ルートが未定で、八戸経由の東回りと盛岡-大館-弘前-青森を結ぶ西回りで綱引きが続いていた。結果は東回りとなるのだが、その代わりとして浮上したのが日本海新幹線だった▼それだけではない。首相は福島から山形を経て秋田に至る路線も考えると知事に伝えたという。この路線は奥羽新幹線として、日本海新幹線は羽越新幹線(富山-秋田-青森)として国の基本計画に明記された。ミニではなくフル規格の新幹線である▼新幹線網を全国に張り巡らせて人口の少ない地域に駅を置き、その駅を拠点に地域開発を進めるというのが田中氏の発想だった。氏が掲げた列島改造論の柱でもある。だが高度成長の時代は間もなく終わり、奥羽、羽越の両新幹線計画も夢物語で終わった▼と思っていたら佐竹敬久知事は年頭会見で、両新幹線の実現を目指して県民運動を盛り上げると打ち上げた。北海道、北陸、九州の各整備新幹線にはめどがついた。次なる整備に向けて山形県は既に動き始めている▼佐竹知事は「次の時代の夢を何とか県民の皆さんに持ってもらいたい」と述べた。夢を語ることは大切だが、再び夢で終わらせないためには知恵と戦略と本気度が必要になる。
 
 
これ先日の6日にあるローカル新聞に載った、朝日新聞で言えば「天声人語」と同じ欄の記事である。
 
 
 これ40有余年前の事なのである。今それが現実となり、さらにインフラ整備が伸びようとしているが、随分と手間取っているように思えるのは私だけであろうか。今の政治を見ていると何か国民と言う主人公に気を遣っていないように見える。何も田中角栄元首相のようにせいと言う訳ではない。かれはロッキード事件で失脚したが、あの類稀な感覚は本当に惜しい。良し悪し別に、良い事は良いと言い、悪い事は悪かったと言えた、そして人間としての情も持ち合わせていたからである。今の政治は気遣いや奥ゆかしさはまるっきり持ち合わせてはいない。だから「まず子供」「まず貴方」と言って自分の事は一番最後であった。それが今の政治はそうではなく一番初めに「まず自分」これが今の政治だ。だからこそ主人公である国民に気遣わず皆勝手になる。田中角栄的政治家いつ現れるのか。