「安倍政権はもうおしまいですか」。そう聞かれることが増えてきた。
ただ、権力者が世論の批判にさらされることが、直ちに与党内の政治的な求心力の低下につながるとは限らない。少なくとも29年前はそうではなかった。
「沛然(はいぜん)として大地を打つ豪雨の音に心耳を澄まし、いま自らがその職を辞する」。1989年のちょうどいまごろ、リクルート事件などで支持率を落とした竹下登首相は内閣総辞職を表明した。主要紙は一斉に「後継は伊東正義氏」と報じた。
清廉な人柄で知られた伊東氏ならば、自民党の汚れたイメージをよくしてくれるはずだ……。待望論が党内に出ていた。その日の夕方、竹下内閣の高官のひとりから呼び出しがあり、こんな話を聞いた。
「いま政治的にいちばん強いのは竹下だ。後継は竹下裁定で決まる」
報告すると、デスクの反応は芳しくなかった。
「袋だたきの竹下になんで発言権があるんだ。だいたい伊東で決まりだ」
未練がましく訴えたら、ベタ(小記事)にならばしてやると言われ、隅っこに載った。伊東首相誕生を前提にした紙面に全くそぐわなかった。
のちの展開は、高官の予言通りだった。後継は伊東氏でなく、竹下氏が推した宇野宗佑氏が就いた。
どうしてそんなことが可能だったのか。冷静に考えれば、さほど不思議ではない。当時の竹下派は最大派閥だ。白紙で総裁(すなわち首相)を選ぶとなれば、そこのトップの言い分が最重要になる。
先ほどの高官によると、田中氏は「国会議員の8分の1を掌握すれば、日本を動かせる」と豪語していたそうだ。全体の2分の1があれば与党になれる。その2分の1で与党を支配できる。さらに2分の1あれば、キングメーカーになれるというわけだ。
当面は進退両様の構えを見せつつ、次をうかがう岸田文雄氏らニューリーダー候補に擦り寄り競争をさせる高等戦術もありだろう。
ちなみに、伊東氏は高齢などを理由に、望めばなれた「総理のイスを蹴飛ばした男」と評されるのが一般的である。本当にそうだろうか。同僚記者によると、竹下氏はいちどとして「あとをお願いします」とは言わなかったそうだ。
表舞台での竹下―伊東マラソン会談は、意中の宇野氏に落とすための時間稼ぎではなかったのか。少なくとも先の高官は伊東政権に否定的だった。
これ「政権下降期ゆえの求心力 」と題した日本経済新聞電子版2018/4/82:00の記事である。
この記事にあるように、苦労人竹下登さんのようには安倍さんは振舞えない。それは何故か?どだい人間の質が違う。竹下さんは目的を達するためならば、バカにもなれるからだ。安倍さんみたいな変なプライドなんて初めから持ってはいないし、老獪でもある。見た目はチャラチャラしてもしっかりと目を開き冷静に自他を見れる器量がある。安倍さんみたいに直ぐ相手に呼応し、カッとはならない。そんな中でも気遣いを持って相手に対応出来る。これは田中角栄さんの下で政治を学び、相手を立てながら相手に合わせた対応が出来たからである。本心がどうあれ決して上から目線の政治手法は取らなかった。そこが決して安倍さんがまねの出来ない器量を持っていた。そこが決定的に違うところである。見方を変えれば自民党総裁になれた安倍さんの方がおかしく感じるほどである。もう安倍さんは終わりだろう。恐らく秋の自民党総裁選には出ないで終わると私は思う。それが政治的にこの難局に軟着陸の最良の方法だと私は思う。もしその方法を安倍さんがとらなかった場合は政治的な名声は自分から捨てる事になるからである。今波風を立てずに辞める事が安倍さんの最良の方法である。