「白紙撤回」された新国立競技場 これは国土交通省が仕掛けた罠に文科省がはまってしまったとも言える?

「白紙撤回」で仕切り直しとなった新国立競技場の建設計画。それでも、「いったい誰が悪いのか」「責任者は誰なのか」と国民の怒りは消えない。そこで下村博文文科相の更迭説が急浮上している。
  舛添都知事は「大失策に至った経過を検証し、責任者を処分することが不可欠」と公式ツイッターでつぶやき、森喜朗元首相は「文科省の責任は大きい」と強調した。2人とも自分のことを棚に上げる厚顔ぶりだが、舛添知事が「処分しろ」と迫ったのが、監督官庁トップの下村文科相であることは明らかだ。野党も「下村氏はお辞めになるべきじゃないか」(蓮舫)と引責辞任を迫っている。国会で下村大臣が集中砲火を浴びるのは確実だ。
  ただでさえ、国会はこの先、「安保法案」の審議で大荒れになるだけに、自民党内から「攻撃材料になる下村文科相を早く切るべきだ」という声が上がっているのだ。
「そもそも、下村大臣は能力が低すぎます。問題が噴出した後も、収拾に動こうとしなかった。安倍首相から『いまから見直せないか』と聞かれても、『もう時間的に無理だそうです』と役人のレクチャーをそのまま伝えていた。さすがに、安倍首相も『この人ではダメだ。自分がやる』と途中から官邸にタスクフォースを立ち上げています。更迭されても文句は言えないでしょう」(政界関係者)
  官邸周辺も、9月の自民党総裁選を待たずに下村大臣の更迭を模索している。
文教族遠藤利明五輪担当相に文科相を兼任させるプランが浮上しています。しかし、安倍首相にとって下村大臣は、“精神安定剤”といわれるほどかけがえのない“お友達”。まだ更迭すべきか逡巡しているようです」(永田町関係者)

  政治評論家の伊藤達美氏はこう言う。

 「下村大臣は悪あがきせず、今すぐ辞職すべきです。迷走劇の主体は紛れもなく文科省。そもそも“政治とカネ”の問題を追及された時点で身を引くべきでした。教育行政のトップに、金銭絡みのスキャンダルが浮上した時点で本来は大臣失格なのです」
  安倍首相は第1次内閣で“お友達”を更迭せず、グズグズしている間に退陣に追い込まれた苦い経験がある。意外と“決断”は早いかもしれない。

これ『新国立迷走させた“A級戦犯” 下村文科相に「更迭説」が急浮上 」と題した日刊ゲンダイ7月23日の報道記事である。

 とにかく役人の世界は、管理責任が重大事である。信賞必罰がルールであるしそれが役人の世界では常識だ。この事を改めて認識させたのは、何の事無い、2020年オリンピックの主催者である、東京都知事の枡添さんの下村文科相に対する辞任要求からである。
 役人の世界は職域のメンツが第1である。それはどう言う事かと言えば、役人は職域の不可分が暗黙のルールである。つまり例えどう思おうとも、他課の事に口出しはしないし、無用なのであり、また逆も真なりで他課に口出しはさせないのである。それはどう言う事かと言えば、技術的に解らなくても同じ都道府県市町村庁の技術の課には絶対と言ってよいほど助言を仰がないのである。どんなに金が掛かっても、他庁もしくは民間の技術団体や企業に助言を仰ぐのである。今回の国立競技場問題はそんな意味で、文科省は同じ役所のノウハウの豊富な金の掛からない国土交通省には一切相談しなかったと思われる。その裏返しが、安倍首相の国土交通省を中心とした白紙撤回に傾いた原因なのである。このような国策プロジェクトに当初から参加出来なかった国土交通省の挽回策と言えなくも無いのである。形を変えた省庁の闘いに文科省は敗れたともいえるのである。勘ぐれば国土交通省が仕掛けた罠に文科省がはまってしまった。そうともとれるし、どだい建築建設の技術に無知な文科省が自分たちだけで、国策プロジェクトを仕切ろうとした事が原因と私は見る。いづれにしても、迷惑を食らったのは何の事無い税金を負担する国民と、東京都だったと言える。