自衛隊のイラク日報、そして加計「首相案件」文書の存在が明るみに出た。森友文書改ざんで露呈した安倍政権のウソは、今や霞が関全体を覆っている。1年以上も国会で隠蔽、捏造された事実を基に質疑が行われてきた現実。あまりに重い安倍晋三首相の責任を問う――。
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昨夏、国会でそう断言していた首相。だが、計画を知ったという2017年1月の2年近く前、15年4月13日付の文書には冒頭のような記述があるのだ。
この文書は、愛媛県の職員が東京に出張し、当時の柳瀬唯夫首相秘書官と4月2日に面談した際の、柳瀬氏の主な発言内容を県に報告したもの。面談の場には今治市の職員や加計学園事務局長も同席していたことも記されている。
「安倍首相は首相動静に出ているだけでも、14年12月22日に加計氏と会食しています。さらに、首相動静に出ない形で、公邸で面会することもありました。下村博文文科相(当時)は在任時、獣医学部新設を巡ってたびたび加計側とやり取りしていた。その内容を加計氏は総理との会食の席で伝えたのでしょう。そのことを柳瀬氏は愛媛県と今治市に伝えたということです」(官邸関係者)
下村氏は小誌の直撃に「読んでいないので、コメントできません」と回答した。
この日の面談について柳瀬氏は、国会で何度も「記憶にない」と否定していたが、文書には、柳瀬氏の主な発言として〈本件は、首相案件となっており〉とも明確に記述されている。
文書には、同じ日に内閣府の藤原豊地方創生推進室次長(当時)と面談した際の内容も記されている。それによれば、藤原氏は、愛媛県と今治市に〈要請の内容は総理官邸から聞いており〉〈かなりチャンスがあると思っていただいてよい〉と伝えるなど、手取り足取り加計の獣医学部新設を後押ししているのだ。
安倍官邸のウソを白日の下にさらした愛媛県の公文書。実はこの文書も「なかったこと」にされていた。
「今治市も同じように報告書を作っていましたが、情報公開請求に対してほぼ黒塗りで公開。さらに、国会で問題になると全面非開示にしました。一方、愛媛県は『保存期間を過ぎたので廃棄した』と説明。ただ、2カ月後の15年6月の出張報告書は残っているなど、不可解な対応をとっていました」(社会部記者)
「中村時広知事は『加戸(守行前知事)さんの引き継ぎ案件だから』と乗り気ではありませんでした。10億円単位の公金を出す必要があるし、加計は教育というよりビジネス。以前から、文科省出身の加計学園顧問などが『文科省に挨拶に行け』と高圧的に県に指示を出してきた。加計と事業を進めるのは危ない臭いがしたので、今治市主体でやってもらいたいのが正直なところでした」(県関係者)
中村知事は、小誌の取材にこう語る。
「(文書が)出てたね。(面会は)知りません」
と話すのが精一杯だった。
「イラク日報について、稲田朋美防衛相(当時)は昨年2月20日、『見つけられなかった』と答弁。2日後、稲田氏は辰己昌良統幕総括官(当時)に『イラクの日報は本当にないのか』と口頭で伝えていますが、この発言を“指示”と見做すには無理がある。実際、辰己氏が統幕などに送ったメールは、稲田氏の発言を〈指摘〉と記し、答弁のために日報を探索した部署名を確認する内容でしかなかった。当然返事も〈2月17日に、イラクの『日報』は保管していないと回答した〉(統幕)という程度。約1カ月後の3月下旬に日報を見つけた陸自の教訓課長(一佐)も『防衛相の指示で捜索している意識はなかった』と説明しており、稲田氏に報告を上げていませんでした」(政治部デスク)
当の稲田氏は“潔白”を訴えるかのように白いスーツを身にまとい、お気に入りのブランド、ヴァンクリーフのネックレス(推定30万円)やイヤリング(推定46万円)で着飾り、久しぶりにメディアの前に登場。「驚きとともに、怒りを禁じ得ない」と語った。
「一体どの口が言うか、という思いです。稲田氏は在任中、防衛相に相応しくない言動を繰り返していました。そもそも門外漢の稲田氏を防衛相に任命したのが間違いだったのです」
そう憤るのは、陸上幕僚長経験者の一人だ。
稲田氏をかばい続けた首相
「首相は『政権のバランスを取るため』と言って、思想信条の異なるハト派の中谷元氏らを防衛相に据えてきました。この時も岩屋毅氏が有力だった。ところが、首相は『彼女にいいポストがなかった。今のうちに経験を積ませればいい』とひっくり返したのです。当時の高支持率に胡坐をかいた人事でした」(首相周辺)
改造前は「外務大臣でもやりたいわー」と無邪気に語っていた稲田氏も、この人事に「防衛相なん?」と驚くほどだったという。
「周囲の懸念はすぐに現実のものになりました。就任直後に横須賀の米海軍基地を視察した際、ヒールの靴で登場したのです。TPOを弁(わきま)えない服装を批判されると、本人は『みんな私に嫉妬しているの』と漏らしていた。首相も『どこから(服などを)仕入れているんだろうね』と暢気な態度でした」(別の官邸関係者)
森友問題でも『弁護士時代に学園の顧問だったことはない』と“虚偽答弁”をして集中砲火を浴びたが、
「首相は『弁護士だからああいう答弁なのかな。仕方がないよ』と言って庇い続けていた。今井秘書官も『総理が稲田さんを好きだからなぁ』とボヤいていました」(前出・首相周辺)
「直後に浮上したのが、南スーダンPKO部隊の日報隠蔽に稲田氏が関与した疑惑でした。防衛省は当初日報を廃棄したとしていましたが、実際には陸自に保管されていた。稲田氏は黒江哲郎次官(当時)らとの緊急会議で、その事実を非公表とするとの方針を伝えられ、了承していたというのです」(防衛省担当記者)
それでも首相は続投に拘ったが、黒江氏らが辞意を固めたのを受け、最後は稲田氏自ら辞任を申し出た。
「あり得ません。首相の口からは彼女の話題は出てこず、完全に見捨てられています。携帯の呼び出し音は『ロッキーのテーマ』と相変わらず勇ましいのですが……」(前出・首相周辺)
4月9日午前10時、日報問題を巡って首相が国会で追及を浴びていた頃、夫とともに自宅玄関から現れた稲田氏。この日は薄い紫色の上下に、ド派手なピンク色の鞄を手にしていた。
――昨年2月20日、稲田大臣から(辰己氏へ)の指示は曖昧だったのでは。
「大臣レクの際に、しっかり事実関係を確認しようということで『本当になかったのか』という疑問を呈したわけで、それに基づいて対処してもらっているものと思っておりました。非常に遺憾に思っております」
――稲田氏のガバナンスが効いていなかったから、今回の問題が起きたのでは。
「いずれにしても、南スーダンのことを反省に、しっかり再発防止策を講じたわけで、私も監督責任を取って、トップ3人辞任をいたしておりますので、そういった反省がしっかり生かされているかどうかは検証していただきたいと思います」
――統幕とうまくいっていなかったのか。
「そんなことはないですけど、背広と制服の皆さんとの間の意思疎通というものは、もう少し風通しのようなものが必要だと実感しました。石破(茂)大臣もそういった点の改革は必要だと仰っておられますので、私もその通りだと思います」
――なぜ首相は稲田氏を防衛相に抜擢したと思うか。ひいきという声もあった。
「それは総理に聞いていただければと思います」
山崎幸二陸幕長は稲田防衛相時代に、酒席で思わずこうこぼしていたという。
「総理はきちんと人を見て大臣にしているのか。国がおかしくなるよ!」
首相、夫人、お友達のために
前出の政治部デスクが指摘する。
「首相は森友問題は理財局に責任を押し付け、乗り切ったと見ています。3日夜に森山裕国対委員長らと会食した際、今井氏も『証人喚問でも参考人招致でもどこでも話してやります』と言い放っていたほど。イラク日報問題でも陸自に責任を押し付け、事態収拾を図る考えでした。その矢先に飛び出たのが、今回の“首相案件”文書。森友・加計・日報問題に共通するのは、首相や夫人やお友達のために、行政府が無理を通し、そのためにウソ、隠蔽、改ざんを重ね、国民を欺いてきたということ。この1年、安倍首相は捏造された事実を基に国会答弁し、政権を運営してきたのです」
本来役人と言う動物は、上司の命令は絶対だ! 特に自治体を代表して会議や面談等の派遣時には職務の証としてメモや会議録や出張記録等は必須事項である。何故か?それは職務上のガバナンス上の絶対事項だからである。だとしたら事実と違う事は絶対として書く事はない。そう言う意味からして中村知事の「捏造」等はする必要性はないとしての説得力は当然である。逆に暴露されて焦った官邸側の批判はかえっておかしいと言わざるを得ない。一度のウソがどこまでも尾を引き結局辻褄が合わなくなり、最後はウソをウソで固めてしまう、つまりは捏造したのは官邸側になってしまった。それを現在でも認めないためにここまでこじれたとしか言いようがない。何故ここまでと言えば、やはり首相の「関係してたら・・・・・・・」の発言が最後まで響いているからであろう。本質は首相自身刎頚之友への後押しを願ったのは明白だからである。そうでなければ役人はここまで違法を犯してまでもやらないからだ。決裁文書の書き換えもそのためだ。こんな簡単に解かる事で、国会の紛糾はおかしいと言える。やはり最後は安倍首相が正直やったと詫びるしかないのではと思う。