山梨リニア実験線で時速603キロを達成 当時のリニア実験線は宮崎美々津だったが何故山梨へ?

 JR東海は21日、リニアの最新型車両「L0(エルゼロ)系」が山梨リニア実験線山梨県上野原市笛吹市、全長42.8キロ)で時速603キロを記録したと発表した。ギネス記録に認定されている鉄道の有人走行での世界最高速度を22キロ上回った。同社は新記録をギネスに申請する方針。
 史上初めての時速600キロ以上での走行は21日午前10時48分、実験線内にあるトンネル内で10.8秒間、走行距離1.8キロにわたった。これまでの最高速度は2003年12月に試験車両の「MLX01」が出した581キロ。今月16日の走行試験でもL0系が590キロを記録していた。
  JR東海リニア中央新幹線について、27年に品川-名古屋間開業を、45年に大阪までの全線開業を目指している。営業時の最高速度は500キロの見込み。より高速での走行試験は、車両への空気抵抗や揺れなどのデータを取るために実施している。【一條優太】

新聞の報道である。

 私は当初よりリニアに関心を持っていた。また私の会社は幸運にもJRの登録業者だったし、結構受注もしてたのでそれへの情報も確かで早かった。ある年、平成の始め頃と記憶しているが、当時JRの将来はリニアにかかっていたと言っても過言ではなかった。JR研究所がその実験をすべく比較的温暖で平坦な宮崎県の日豊本線並びの美々津というところに実験線を造ったのである。この実験線での無人走行実験は私は都合3回程見学したことがあるし、確か400km/hの最高記録を出した時、線路の上の管理室で見せてもらった事を覚えている。日本の先端技術を目の前で見た時の身震いも覚えている。確か見学者は、日本鉄道施設協会の会員企業の関係者だけだったと思う。幸運だった。がしかしだんだん現実味を帯びてくると、この実験線はまっすぐで平坦だったから、色んな諸条件でのデータがとれない、別のところでと言う意識が生まれても当然だった。山あり谷あり、雨あり雪あり、橋ありトンネルあり、防音のデータに市街地ありを考えても、どうして山梨なんだ?多分に政治決着だったろう。平成7年前後と言えば、当時の政権党はもちろん自民党。それも最大勢力竹下派から衣替えした小渕派の天下であり、橋本龍太郎小渕恵三と立て続けて宰相をとり、尚且つ後ろには副総裁金丸信が老いたとは言え陣取っていた。金丸は山梨の出身である。大体そう言う事であろう。それが今やそのリニアJR東海に移り、まっすぐ名古屋に繋がる事が決まった事が新しい。このようなインフラには必ずや利権が絡み、政治力の差がそのまま地域の発展ににも影響する。今や鉄道は大阪で無く名古屋になってしまった。これで完全に、日本のインフラは空から鉄道に変わり、輸送体系は変貌するだろう。