時給1500円以上の高騰が生産性の足を引っ張る?

先日、ファストフード店の時給を1500円以上に上げるべきだ、というデモが各地で開催された事が報じられていた。
  「ファストフード店などで働く人の賃金アップを求める世界的な取り組み「ファストフード世界同時アクション」に合わせ、東京・渋谷など24都道府県30都市で15日、アルバイトの若者らが時給1500円の実現を訴えるアピール行動をした。
  <ファストフード>世界同時 賃上げ1500円アピール 毎日新聞 2015/04/15」
ファストフードを象徴するマクドナルドのキャラクター・ドナルドに白塗りで扮したデモ参加者もいたようで、実際に目にした人も居るかもしれない。
  時給が低いから生活が困窮している、だから時給を上げれば生活は改善する、という事なのだろう。さて、これは正しいのだろうか。結論から言うと100%間違いだ。もしファストフード店の時給が1500円以上になればマックもロッテリアもモスもすべてのお店がつぶれる。
■デモは誰にアピールしていたのか?
  時給は都道府県ごとに最低賃金が定められている。これを上回る限りいくらに設定するかは企業側の自由だ。そう考えるとこのデモは誰に対して何を要望しているのかさっぱりわからない。経営者へのお願いなのか、政治家への要望なのか、それとも世間に向けたパフォーマンスなのか、全く持って意図も目的も不明だ。
 ただ、意味が分からないと切り捨てるのも可哀想だ。加えて給料が上がる事自体は悪い事ではない。では給料アップはどのように実現する事が正しいのか、今回のデモを材料に考えてみたい。
■デモの主張はファストフード店を壊滅させる。
 まず、あえて重箱の隅をつつくようなところから議論を始めると、たとえばファストフード店だけが最低賃金を時給1500円に上げればいけない、というおかしな法律が実際にできたとする。そこで起きることはファストフード店だけが価格を大幅にアップせざるを得ず、他の飲食店やコンビニエンスストア、お弁当屋などに客が流れてファストフード店が壊滅する事だ。
 つまりこのデモの内容をストレートに受け取ればファストフード店を壊滅させる主張だという事になる。マクドナルドやモスバーガーの利益率は、2・3%程度で、他のファストフード店も同水準だろう。従業員の大半を占めるアルバイトの時給がこれだけ上がれば、まともに経営できるはずもない(マクドナルドは利益が出ていた頃)。
 ファストフード店の時給を上げろという主張の真意は、おそらく業種を問わず従業員の最低賃金を上げるべきだ、という事だと思われる。最低賃金の大幅な引き上げは低い時給で働いている人にはプラスになりそうだが、果たして何が起きるだろうか。
■時給1500円の世界で起こる事。
 まずは雇用が減る。給料の高い従業員を雇うとよそと競争が出来ない。全業種の従業員が時給1500円以上なら条件は同じじゃないか、と思われるかもしれないが、今までは人の手でやっていたことが、高コストになるのなら機械に置き換えよう、という事になる。
 半導体を作る工作機械などを見れば、現在の機械がどれだけ素早く、複雑な動きが可能かわかるだろう。飲食店のかなりの部分がオートメーション化も可能だと思われる。今までは高価な機械と人手を比較して割安なほうが選ばれていたのが、時給が高くなれば機械でやろうという事になる。
  現在、アマゾンの配送センターでは急激な機械化が進んでいる。1万5千台ものロボットを導入する事で500億円から最大1000億円の人件費を削減しているとも伝えられている。こういった事例からわかることは、解雇は規制できても雇用は強制できない、という事だ。
■時給1500円で国内産業は空洞化する。
 次に起こることは国内産業の衰退だ。人件費が上がればあらゆるモノの価格が上がる。すると企業にとって仕入れコストが上がる。これを抑えるには海外からの輸入品で代替しようという事になる。今までは輸送コストなどを考えれば国産品のほうが安かったものが人件費の高騰で割高になれば輸入品に切り替えよう、という事になるだろう。
 産業空洞化を押しとどめるために関税も上げてしまえ、という事になれば相手国にも関税をあげられて、外貨を稼ぐ輸出産業が壊滅するだろう。現実的に考えて高い賃金を維持するために関税を引き上げることは不可能だ。
 そして言うまでもなく価格上昇で需要が減る。販売価格が上がっても所得が増えていれば問題ない、という事なのかもしれないが、すでに書いたように国産品が可能な限り輸入品に置き換えられ、国内で回っていたお金が海外に流れるだろう。結果として雇用が減り、負のスパイラルとなる。
■賃金は付加価値に対して支払われる。
 このように考えると、時給1500円をほかの部分を何も変えずに実施したところでしわ寄せがどこかに行くだけでデメリットのほうが大きいことがわかる。時給1000円ならば雇えた人でも雇えなくなるからだ。
 なぜこういうことが起きるのか。それは時給1000円の付加価値しか出せない人に1500円を払う事は企業にとってマイナスとなり、それをさけるために企業は別の手段を考えるからだ。繰り返すが解雇は規制出来ても雇用は強制できない。逆に言えば、1500円の時給をもらうにはそれに見合った仕事をすれば良い、という以外に回答は無い。
  経営者や株主の取り分を減らしてでも時給をもっとアップすべきだ、と主張をしても法律に基づかない主張を受け入れるかどうかは企業側の自由だ。これが発展すればストライキになるが、春闘が企業と労働組合の話し合いによってほどほどの水準で妥結するのは、企業にとってストライキは困るが過剰な賃金アップも困る、従業員は給料を上げてもらいたいけど会社がつぶれたら元も子もない、という相互依存の形になっているからだ。どちらか一方の都合だけでは給料アップはできない。
 ファストフード店のアルバイトが給料アップを勝ち取るには、日本全国のアルバイトが一致団結してストや退職を武器に戦うという方法もあるだろう。ただし、それをやったところですでに説明したように利益率を考えれば時給1500円は無理だ。経営者側は数十円とか100円くらいの上昇なら譲歩はあるかもしれないが、現在の1.5倍から2倍近い賃金を要求されたら、それなら辞めて下さい、今の時給で働いてくれる人を募集しますので、という回答しか出てこないだろう。
■副作用とインセンティブを無視した提案は誰も受け入れない。
  今回書いたような事は、何も特別な話ではない。細かく説明するまでもなく、時給1500円なんて無理でしょ、と多くの人が考えているだろう。今回のデモは海外から輸入したようだが、いささか発想が短絡的だ。すでに説明したように、時給を1500円に上げることによって、経営者にどのようなインセンティブ(動機付け)が働くか、そしてどのような副作用が生まれるか何も考えていないからだ。
 お祭り騒ぎのようなデモは大々的に報道され、参加者は大成功だ!と喜んでいるかもしれないが、一旦冷静に考えてみることをお勧めする。時給を1500円に上げたら何が起こるのか? なぜ自分は時給900円で、あの人は時給が1500円なのだろう?と。ただし、被害者意識を持っている限り、低賃金から抜け出すことはできないだろう。
 そしてデモの主催者には、多くの人に受け入れられる根拠のある形へと主張を練り直す事をお勧めしたい。お祭り騒ぎのようなデモで給料が上がる事は決してない。
■「健康で文化的な生活」を保障するのは企業ではない。
 結局今回のデモに参加した人の動機は、今の低い賃金ではまともに生活できないという事なのだろうが、日本国憲法には次のようにある。
  「第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
 文面にある通り、主語はあくまで国であって企業ではない。企業に過剰な責任を求めることは雇用の縮小につながる。結果的に皆が貧困に陥る危険性があり、すでにそのような状況になりつつある。もう雇用をセーフティネットかのように考えるのは辞めるべきだ。それによって、失業保険や生活保護など本来のセーフティネットが脆弱なまま放置され、解雇されたとたん貧困に陥る状況になっている。これは「残業代ゼロ法案は正しい」と「安定した雇用という幻想」でも説明したとおりだ。
  企業は徹底した競争を、国は手厚いセーフティネットを。これが当たり前の環境にならない限り、失われた20年は失われた30年になってしまうだろう。
 中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー

これ『マクドナルドの「時給1500円」で日本は滅ぶ。 (中嶋よしふみ SCOL編集長)』と題したシェアーズカフェ・オンライン 4月16日(木)5時58分配信記事である。

 これ正に正論である。消費の世界では安ければ安いほど良いのである。だがこれはあくまでもそのものが流通して消費されるサイクルにおいてペイ出来ると言うのが前提である。現代においてはあたかも法の上の平等の原則が消費社会の原則をないがしろにしてる嫌いがある。その一例がこの時給1,500円問題である。
 かの誤った小泉ブレーン新自由主義の申し子「竹中平蔵」が推奨した「小さな政府」でのマーケット原理に従う「正社員をなくしましょう」によって非正規労働者の地位向上を後押しする時給値段の高騰、これがひいては生産性の衰退を意味する事解らない。確かに世に適正なる基準賃金は存在しない。何故ならそれは需給によるマーケットに依るからである。しかもそれは商品として益を生む事が前提である。でないとその商品を維持出来ないし、その雇用も維持できなくなるからだ。
 話は逸れるが私はかねてよりこの竹中さんの「小さな政府」論には同調できないでいた。何故なら今時の若者労働者から働く事の喜びや、楽しさと言うものを奪っているように思えたからである。人間には意識しない脳の「バイオリズム」と言うのがある。簡単に言えば、人間の脳は太陽が昇りそして沈み、また昇る。これの繰り返しに従うように、朝明るくなって自然と目が覚め、そして日中働き、日が落ちて暗くなり、また日が昇るまで脳が休む、つまり寝てまた起きの繰り返しだ。それに合った労働者が普通のサラリーマン形態の8:00~17:00の労働形態だ。社会が複雑化し、人間の生活形態が変わり、その労働時間帯も変わった。それに合ったのがスポット労働と言われる時間給労働だ。これらの殆どが非正規労働者非正規社員である。これは経営者側にとれば誠に都合の良い労働者である。必要な時、都合の良い時だけ頼めるのだからこんな良い事他に無い。尚且つその対価が安ければ安い程良いのである。しかもそれから生まれる商品が原価が安ければ安いだけ競争できるからである。だが労働者側から見れば、自分も都合よいように思えるが、決められた時間内の契約と同じだから、前記した脳の「バイオリズム」に逆らうために、どうしてもそれ以外にムリが生じる。だからこそその対価が高く無ければ、労働者が減り、生産性も落ちる状況になり、必然と売り手市場になり、非正規労働者非正規社員も地位が向上し、竹中平蔵の思惑に近づいてしまう。結果生産性が落ち雇用継続が難しくなり、この繰り返しになって最終的にはそのバランスが崩れ、ひいては不況を後押しする事になりかねない。私は経営者側の人間として、物の供給側からの人間としてみれば、この時間給労働の高騰が経済の成長の足を引っ張る事を懸念している。