政治への不満が最高潮に達した2014年だった今の政権党に上杉鷹山の爪の垢でも飲ましてやりたい

 それこそ2年前に再度の政権交代によって登場した安倍晋三氏は、人が変わったように、あの突然の投げ出し辞任時の、さも自信のないオドオドした物腰からは想像も出来ない出で立ちで再度登場した。その間何があったかは知る由もないが、かなりの自信を持って登場した事は間違いない。
 私は「失敗は成功のもと」と言う諺は信じていないが、「失敗した恥ずかしさは忘れない」と自分ながらに解釈を変えて来た。つまり、失敗すれば、失敗の仕方が悪ければ期待を持ってくれた人に対して恥ずかしい。だから二度と失敗はするまい、と考えるからである。私はあの時の安倍晋三氏はそうではなかったのかと思っている。普通あんな辞め方をすれば(あの時は決して病気が理由ではなかった)恥ずかしくて二度と人前には出られないと思う筈である。だからこそ失敗は許されないギリギリの登場だった筈である。しかし、この方の場合は、ほどほどに、徐々に徐々にを通り越し、生来の生真面目さが2乗になるくらいの自信を持ってしまった。何があったかは解らないないが、下手な自信を持ってしまった事は事実である。それが「アベノミクス」と言うリスク過剰な経済政策であり、「集団的自衛権の行使」だった。
 戦後の宰相が国民の顔色を伺がっても出来なかった、識者も半数以上の反対が見込まれる政策をやり遂げたのである。それにも増して、消費増税も然りだった。財務官僚のレクチャー以上の政治にしか出来ない多少のハッタリも含めた理由付けで、それもやり遂げてしまった。しかし、歴年の宰相たちの懸念材料を足蹴にした罪は依然と残ってしまった。つまり国民の意思を尊重しなかったのである。その良い例が3.11の東日本大震災の復興予算の用途外使用だった。このデフレ不況で国民が苦しんで居るのを横目に、出先庁舎の維持修繕や霞が関の事務総務費の使い放題である。これ等は政治の責任ではなかったのかも知れない。役人の政治屋を軽く見た、要するにコソ泥である。監視する政治システムが機能しなかったのである。裏を返せば、政治屋が馬鹿だったと言う事にもなるのである。簡単に言えばムダを解消出来なかった裏返しでもある訳だ。こう言うムダや仕事をしない、出来ない、遅刻常習犯や、組合専従等の役人等をクビにすれば、私の計算では消費税3%分にはなる勘定であり、消費税等設けなくても悠に賄える勘定だ。我々国民は、使い物にならない役人の給料を払うために働いているようなものである。国会議員や地方自治体の議員も同じようなものである。何も出来ない何もしない職業議員に我々国民は税金を払っているのである。そこのところが、今の政権党自民党公明党が理解出来ないしない最悪の政権党である。それが解れば、創価学会の信者以外の国民が全て望んでいる宗教法人課税は即やった筈だからである。バカの一つ覚えの歳入だけの増しか考えれない政治屋はいらない。少しは「入計出制」の山形米沢藩の復興の祖上杉鷹山の爪の垢でも飲ましてやりたいものである。