維新こけ日本丸は何処へ

 毎日の政治報道は自民党総裁選一色である。しかし、日本は魔か不思議な国である。3年前の丁度今頃は、劇的な政権交代を成し遂げた民主党と共に、国民が新しい戦後政治のスタートを切る喜びに溢れ、初の民主党政権の舵取りを担った、鳩山由紀夫首相が自信に満ちた国政への抱負を語り、第1歩を踏み出そうとしていた時期である。それがその3年後に現在のような政治の混迷を受け、それに取って代わる可能性のある自民党総裁選がこのように脚光を浴びていようとは一体誰が予想したろうか。私は今それを思う時、居様の無い無念さを覚えている。
 55年体制の崩壊を一番歓迎したのは、それこそ国民だったのでは無いか。それが今このような落差は何なのか、何であったのか私にはどうにも理解出来無いで居る。自民党のあの国民不在の官僚主導の霞ヶ関の予算主義に嫌気をさし、それを共に支持し増幅させて来た自民党に対して肘鉄を食らわしたのも国民であった筈なのに、今のこれは何なのだ。国民は国民を欺いた民主党を反面教師として自民党に回帰をしたのだろうか。
 私は自民党員として長い間の間接的な政治への参加を経験して、この自民党政治はどうしようもない泥沼にはまってしまっている。しかし、一般国民は、記者クラブを中心とした日本のマスコミに誘導されて、今もってその真の姿を知らされないで居る。これほどの不幸は無い。
 自民党政治の本真は言葉と裏腹に、政党政治に欺く官僚依存政治である。要するに何事も、誰ともきしみ無く丸く治める政治である。これは元々役人の基本である、長いものに巻かれる政治なのである。決してリスクを犯さない安全策の政治なのである。そこからは決して改革は生まれず、あるのは旧来を模倣する、前例を尊重する安全政策しかないのである。国民は退屈してた。そこへの民主党だったから喝采を浴びたのである。
その民主党も国民を裏切ってしまった。そこへまたしても「維新」である。民主党を見てしまった国民は、「維新」に対して二匹目のドジョウは無いと思っているから、今後どう判断するのだろうか。