消費増税導入の条件は国会議員「自らの身を切る」政党助成金の返還と政治報酬の切り下げが先である

 17日午後、衆院予算委員会で答弁に立った首相、安倍晋三は4月1日に迫る8%への消費税率引き上げの意義を熱く語った。
 「社会保障費は毎年毎年、増加が避けられない。安定財源の確保によって次世代への負担の付け回しを軽減する」
 少子高齢化が急速に進み、社会保障費は年間1兆円のペースで膨らんでいる。今でこそ国民の消費税に対する理解は進んでいるが、平成元年4月にスタートした当時は反対の声が大きかった。
 この消費税導入を内閣の命運をかけて実現したのが、安倍の父で元外相、晋太郎のライバルであり、同時に盟友でもあった元首相の竹下登だった。
消費税導入へ重責
 消費税導入の最大のハードルは国会対策だった。
 昭和62年11月。首相に就任し、人事に着手した竹下は、まず元衆院副議長の渡部恒三に声をかけた。組閣で最初に呼び込まれるのは女房役の官房長官の場合が多いが、この時は違った。
 「なんだ、官房長官じゃねえんですかい」
 顔を曇らせる渡部に竹下は言った。
 「国対委員長をやってくれ。俺の仕事は消費税をつくることだから、官房長官なんかより国対委員長の方が大切なんだ。消費税をやってくれ」
 国対委員長は国会運営の責任者だ。審議日程をめぐり、政府と与党の調整や、野党との交渉の窓口役となる。渡部は「人をおだてるのを心得ている」と思いながらも応諾した。その時、竹下にこう念押しされた。
「野党に6を取らせて、残りの4が与党だ」
 自民党は当時、前年7月の衆参同日選で勝利し、衆参両院で自民党単独過半数を持っていた。自民党が採決を決断すれば法案は可決する。
 しかし、強行採決などは世論の批判を招く。野党に譲歩し、法案に反対でも審議に参加だけはさせるというのが竹下の方針だった。
異なる人心掌握術
 消費税反対の急先鋒(せんぽう)だった社会党の元衆院議員、上田哲に対しては、昭和63年3月の衆院予算委員会で、竹下自らが消費税の問題点とされる「逆進的な税体系」や「事業者の事務負担」など「6つの懸念」を列挙。「懸念を取り除く努力をしなければならない」と答弁した。
 上田の顔を立てつつ、政府側も国民に説明を尽くす-。野党への配慮と同時に国会審議を自身のペースに巻き込んでいく手法は竹下の真骨頂とされた。
 ただ、これには後日談もあった。上田は竹下と同じ2月26日生まれ。そのよしみで竹下は上田に毎年、花やちょっとした贈り物をしていたのだ。
 自民党組織運動本部長の竹下亘(わたる)は「野党議員とメシを食ったり、一緒にゴルフに行ったりはしょっちゅうだった。本音で話せる友人がたくさんできた」と、兄・竹下の秘書だった時を振り返る。
 竹下は「地元に橋を架けてほしい」といった陳情にも、与野党を問わずに応じた。引退や落選した野党議員の再就職先も探した。
 こうした竹下の「気配り」について、渡部は「あなたは私の大事な人だといって相手の心をつかむやり方」と表現。竹下の師匠にあたる元首相、田中角栄の「お前は俺の子分だから面倒を見てやるというタイプ」とは異なると解説する。
精緻に記した巻物
 自民党幹事長の石破茂は昭和61年の衆院選で初当選した後、東京・代沢の竹下の自宅で、一風変わった巻紙を見たことがある。竹下は党幹事長で、次期首相の最有力候補となっていた。
 「首相になるにはこういうものが必要なんだ」
 石破ら当選1回の若手議員たちの前に、長い紙を広げた。縦欄に日付、横欄に1月から12月を書いた細長い暦で、与野党議員の誕生日がぎっしりと書き込まれていた。
 「何ですか?」とたずねる石破に、竹下は笑みを浮かべて説明した。
 「予算委員会で、その日が誕生日の人が質問に立つとしてみろ。直前に『今日は誕生日だね、先生』といってポンと肩をたたけば、質問は全然違ったものになるぞ」
 元官房長官熊谷弘自民党時代、竹下から大事そうに折りたたんだ書類を見せられたことがある。
 国会や外交、選挙など政治に関する日程を精緻に書き込んだ「竹下カレンダー」だった。“巻物”といわれたこのカレンダーは毎年、通常国会の召集を控えた12月に翌年分が作成された。
 委員会の審議日程はもちろん、予算案や法案を成立させる日付が網羅され、竹下が自ら小さな文字で更新した。長い通常国会が終わってみると、見通しはほとんど狂っていなかった。
 昭和41年から6期連続で国対副委員長を務め、霞が関や国会事務局などの間に情報網を張り巡らせていたためだ。加えて、どの時期に、どの法案が焦点になるかを見越し、「法案に関係する党の部会長や国会の委員会理事などの配置を考えていたからだ」(閣僚経験者)という。
 今は予算関連法案や重要法案を抱える省庁が独自に国会カレンダーをつくっているが、会期中盤から日程がずれ、終盤には役に立たなくなることも多い。
 竹下が学んだ早稲田大学の同窓で、民主党国対委員長の経験を持つ衆院副議長、赤松広隆はその理由の一つをこうにらんでいる。
 「今は約束をしても破るから、ちゃんとした話ができない。民主党政権の時もそうだが、圧倒的多数を持っていても野党に配慮して言い分を取り入れるということはしなかった。あまり先を見なくなったからだろう」(敬称略)

 消費税、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など政治決断を迫られる課題が山積している現状から、田中角栄元首相の突破力、人心掌握術を懐かしむ声が出る中で、田中流政治を極めたといわれるのが竹下登元首相だった。26日で生誕90年を迎える竹下氏の政治手法を振り返る。
 

これ「消費税導入に先鞭 国対は気配りと先読み、師と違う人心掌握」と題した産経新聞2月24日 13:40 の報道記事である。


 55年体制自民党政治は国体政治と言われた所以を如実に表している記事である。逆説すればそう言う政治を許してしまった社民党の前身の社会党であった事も良く解かる記事でもある。私はこの事を賞賛はしないが、政治家の懐の深さを感じた。少なくても現在の政治人は質が小さいとも感じた。だが最初にそれを実行した当時の竹下首相は、 今の人々に言わせれば先見の明があったと言う事になろうか。だが決定的に間違っている事がある。それは増える経費を国民に付け回した事である。全部が悪いとは言わないが優先順位を間違えた事である。まず民への前に「自らの身を切る」事だった。神代の昔より「民の幸せ」を第一に考えない輩は、絶対に民の信頼を取れないと言う事である。まだ遅くは無い。消費増税導入したくばまず「自らの身を切る」政党助成金の返還と政治報酬の切り下げが先だと言う事である。それがなされれば国民は喜んで消費増税導入に賛成するだろう。