大学入試センター試験廃止計画に見る受験生の意思の尊重を願う

 大学入試センター試験の廃止に、4割の高校の校長が反対していることが、「ベネッセ教育総合研究所」(東京)の大学入試制度改革に関する全国アンケート調査で分かった。大学の学科長では賛否がほぼ同数だった。
  政府の教育再生実行会議は昨年、センター試験に替えて高校在学中に複数回受験可能な新しい「達成度テスト」(仮称)の導入を提言。同研究所は「改革の必要性の認識は広がっているが、個別施策の意義が伝わっていないのでは」と話している。
  共通テストに加え、二次試験で面接などを行う多面的な選抜方法には高校、大学とも6割が賛成した。一方、センター試験廃止については高校が賛成20%、反対42%、大学は賛成27%、反対29%だった。「高校側の負担がどの程度増加するのか分かりづらく心配」(公立高)、「うまくいっているので、変える必要性を感じない」(私大)などの意見があった。
 

これ「4割の高校が廃止反対=センター試験、大学は賛否割れる―民間調査」と題した時事通信 1月24日(金)6時24分の配信記事である。
 

 先日やっと本年度の大学センター試験が終わった。私の会社ではJR東日本の受注業者でもあるので、毎年の風物詩であるが、センター試験の行われる2日間は夜半2時頃より各持ち分の踏切や駅の周辺にて作業員10人くらいで待機である。何も無くて当たり前、何かあると大変である。あくまで電車の定時安全輸送の待機なのである。何か事故があって電車が遅れようものなら、大事である。何故なら必死に人生を懸けて臨もうとした受験生のサイクルを狂わすからである。本当にその2日は私は現場には関係ないが、受注業者の代表者として、気になって眠る事等出来ないのである。何もなく終われば本当にホッとするのが正直な気持である。今年も何もなく終わった。
 記事によれば、半分くらいの高校長が反対してるらしいが、その大半は子供たちの事と言うより、自分たちが大変だからと私は思っている。何故なら、子供たちの将来云々より、例えどんな形でも大学と言うところに収まってほしいためのデータ収集の一環としか見ず、またそれが目安に出来る手段であるからである。
 私たち団塊の世代の時の大学入試と言えば、国立は一期校、二期校と言って、受験機会が2度あった。それでもデータとしては偏差値のみであった。しかし、受験日は一緒でも、大学ごとの試験が違うため、そのデータも毎年違い比較が困難だったと理解してる。だからこその統一データ作りの一環のセンター試験となったのではと私は理解してる。そこには受験生の意思等入り込む余地等無く、要は、教師側と受験産業との思惑一致による。そこに介在したのが、予備校と言う名の受験民間産業企業である。これが世に言う画一的人材を多く輩出した原因ともと私は思っている。飛躍する訳では無いがこれが政治家にまではびこり、現在の小ぶりな政治・行政になったと言えば言い過ぎか。
 いづれにしても大学入試を改革するなら、教師や役人の都合より、受験生の意思を尊重する改革を願いたいものである。