民主党の失敗(その1)

政権交代した時の民主党マニフェスト5つの約束は次の通りであった。
 
1) 国の総予算207兆円を全面組み替え。 税金のムダづかいと天下りを根絶します。議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。
2) 中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。高校は実質無償化し、大学は奨学金を大幅に拡充します。
3) 「年金通帳」で消えない年金。年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします。
4) 「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やします。農業の戸別所得補償制度を創設。高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にします。
5) 中小企業の法人税率を11%に引き下げます。月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援します。地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てます。
 
 私はこの政権公約を当時見て政治もようやく本気になってくれたと心底思って小躍りした事を今でも思い出す。

 当時の鳩山首相は本当に傍から見てもキラキラ光っていたように見受けられた。以来何故こうなってしまったのか。マスコミや識者からは、鳩山首相自身が沖縄の普天間基地移設問題などの外交問題でつまづき失敗したからと考えられている。その後菅直人が継いだが、未曽有の東日本大震災に遭遇し、無知無策のためこれも失敗、3代目として現野田首相が継いだが、政権交代時のマニフェストと真逆の「消費増税」法案を成立させ、国民の不満を増幅し、来年の衆議院の任期までに解散せずの手法は国民への背信とみなされ、民主党政権はもうすでに風前の灯となっているのが現状である。
 私はあの民主党が何故こうなってしまったのか検証してみるに、全てが全て、この鳩山首相民主党そのものの責任かと言えばそうでは無い部分もかなりあると見た。ここからは全く私の主観と思ってもらって結構だが、あながち的外れかと言えばそうでもないと自画自賛している。
 
 私が政治に興味をもったのは確か庶民宰相田中角栄が政権を取った時だから、1972年(昭和47年) 7月だったから、もう40年も前になる勘定だ。以来田中角栄を中心とした政治手法をつぶさに見て来て感じるのは、政治の低下である。当事から政治は常に政治家と共にあったような気がする。強烈な政治家田中角栄、そして三木赳夫、福田赳夫中曽根康弘竹下登、それに小渕恵三、善し悪し別に少なくても形はどうあれ、政治が官の上にあったような気もする。だが小泉純一郎が全ての分かれ目のような気がしたのも事実である。経済も一息つき、ハッと我に返って周りを見たら何か状況が違っていた。と言うような状況である。つまり、働き蜂の亭主が定年になり、家に居るようになってフッと老後を考えたら、年金で暮らせないのに気が付いた様な状況と同じだ。国民社会が通信技術の発達により、国民の誰もがインターネットを使いリアルタイムで情報を知れる時代になり、今まで翌日マスコミでしか取れなかった情報が、自宅で国民1人1人がそれを共有出来る時代になった。だからこそ国民1人1人が政治に参加できる体制にもなった。
 鳩山首相が新しい「政治主導」を掲げたのも良く解かる。小泉純一郎首相のそれこそ「政治主導」がもたらした「郵政改革」の強烈な印象が鳩山首相の頭の中にあったのも頷ける。これには実は下地があった。共に成し得た政権交代の一方の盟主小沢一郎の「日本改造論」である。半世紀も続いた「中央集権」政治を根本から変える「地方分権」政治である。そのためにはどうしても「政治主導」にしなければならない。このまま「官僚主導」が続けばいづれ、政治の歪が破裂する。そう思ったに違いない。
 ここからが政治の迷走が始まったと言って良い。

以下(その2)に続く