お前にだけは言われたくない人間また一人出て来た----竹村正義

 現在日本の政治は「政治主導」とは名ばかりで、官僚主導のまま。日本の政治はどこへ向かっていくのか。そんな現状に対し「言わずに死ねるか!」――政治家経験者による日本政界への提言を聞こう。ここでは新党さきがけ代表の武村正義氏(77)の話を聞こう。
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日本丸は漂流している。船長も機関士もいるが、何をしているのかよくわからない。海は大荒れで乗員一同、情報不足もあり、不安でいっぱいだ。政治は短命政権をくりかえし、国民に迎合するポピュリズムが横行し、大きな政策は先送り。あげくの果てが1000兆円という巨大な借金の山だ。
民主党政権は熟していないのに謙虚さが足りない。とくに小沢一郎さんの選挙至上主義が民主党を悪くした。元総理の2人(鳩山由紀夫氏、菅直人氏)と一緒に引退されたほうがいい。
私は1993年の政変で自民党を離党して新党さきがけを結成し、細川連立内閣の官房長官を務めた。さきがけ時代には、前原誠司君、枝野幸男君、玄葉光一郎君、小沢鋭仁君ら、現在の民主党政権中枢の政治家がメンバーに名を連ねていた。
前原君や枝野君、玄葉君ら若い政治家はそれぞれ政権の責任ある職に就きながらも、まだ修養を積んでいる段階。悪戦苦闘しているが、素養もやる気もあるから、試行錯誤の中で失敗の経験も積んで政治的に習熟してほしい。
武村正義:1986年初当選。新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣などを歴任。2000年引退。
 
これ週刊ポスト2012年1月1・6日号の記事である。

 
 この竹村正義、旧自治省時代の出向や官僚時代に、田中角栄の「日本列島改造論」の代筆等で政治に目覚め、滋賀県知事を振り出しに、「政党・さきがけ」を足場とし、戦後初の非自民細川を首班とする非自民連立政権を小沢と共に仕掛け、、細川内閣を誕生させた武村は内閣官房長官に就任した。が持ち前の能力以上の野心を小沢に見透かされ、排除された。その後に自民党社会党と組み社会党の村山内閣では大蔵大臣を務めた。が政局の節目節目にその野心が首をもたげが、落選の憂き目を見政界を引退した。常に政権の中枢のキーマンであり得たが、財政や金融政策に必ずしも精通していなかった彼が、遺恨の小沢や民主の同僚だった、鳩山や菅に物申す資格等無い。と私は思ってる。今の若い人々は知らないかも知れないが、その時の事を知ってる我々の世代からしてみれば、よく言うよ武村さんと言いたい。