自分以外は皆バカだと思ってる石原東京都知事に新党を語る資格等無い!

 たちあがれ日本が、同党の「応援団長」を自称する石原慎太郎東京都知事を党首に据える新党立ち上げの準備を進めている。今月上旬にも「新党の政策のベース」(平沼赳夫代表)となる基本政策を発表予定で、次期衆院選での生き残りを懸け“石原新党”への期待感を高めようと懸命だ。だが、石原氏が本当に新党設立に動くか明確ではない。
 基本政策は「天皇を元首とする自主憲法の制定」「50年後も持続可能な社会保障制度の創設」など11項目。財源として消費税増税を盛り込むとともに、デフレ脱却や経済成長のための大規模な財政出動も掲げる方針だ。石原氏が進める沖縄県尖閣諸島購入計画を後押しする。
 党内からは民主党が分裂の危機を迎えている「今こそが好機」(同)と、早期立ち上げを促す声が上がる。ただ、肝心の石原氏は、橋下徹大阪市長との連携も模索しているとされ、新党は「石原氏にしか分からない」(党幹部)。
 
 
産経の報道だ。
 
 
 
 初めに言っておきたいが、私は政治家と言われる者の中で、この男と、仙谷由人岡田克也それに前原誠司が一番嫌いである。何故か、それは他人への気遣いと敬いの心が無いからである。
 
 人間との付き合いの中で、他人を気遣えば、時には本心と逆の事も言わねばならなくなる。但しそれには条件付きではあるが。それが私は生身の人間と言うものだと思っている。この石原東京都知事にはその心は皆無であると言うよりも、考えると言う事よりそんな生活や礼儀や作法は、可愛そうだが両親は教えなかったのではないのかと思う。学問は学校で教えるが、礼儀や作法・常識は家庭で教えるし習うものである。彼は悲しいかな、人間としての常識を習って来なかったか、それとも習って来て解かってはいるが虚勢を張ってるのか、恐らくカリスマの演技で後者であろうとは思うが可愛そうな男と言える。
 それはそれで良いが、それも私人の場合と限られる時と私は解釈している。
 また私は、他人の上に立つ人間はそんな常識的な人間より、多少変わってても我々の様な凡人よりはと内心思っている事も事実である。
 
 話を戻せば、彼の人格を如実に表わした事件があった。そう、1975年、彼が現職の美濃部亮吉東京都知事に、初めて対立候補として立った時に、都知事選挙での演説にて相手側の美濃部亮吉さんについての発言で「前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか。」と言った事と日本オリンピック委員会(JOC)の選定委員会にて、対立候補の福岡市の応援演説をした姜尚中(かんさんじゅん)・東大教授についての発言で「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは。」と言った事、極めつけは1977年、熊本に水俣病視察に訪れた際に、患者らが手渡した抗議文についての発言で「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」と言った事等、枚挙に暇が無い。これら等考えてみるに、とてもと言うより、いや、もの凄い無礼者だと思う。ここまで来ればもう人格を疑われるべき人間であって、決して人の上に立つべき人間では無いと私は思う。人の痛みが解かる人間のみが人の上に立つべきだと思うし、どんなに頭がキレて仕事が出来ようが、こんな人間が支持されるべきでは無いと私は思っている。
 
 このお方は未だに自分は英雄だと思っているフシが伺える。まだ都民や一般の国民はまだ自分を必要としていると思っている。勘違いも甚だしい。確かに熱狂的な支持者が居るには居るが一時のようではないのが現実である。
 
 しかし、この石原東京都知事、本心は解っているのではと私は思っている。何故ならあの他人を信用しないあの石原東京都知事が記事のように、色事に例えて申し訳ないが橋下大阪市長に秋波を送る訳が無いのである。あの石原東京都知事、自分が主役でないドラマ等作る筈も無いからである。
 私は彼が37年前に美濃部元知事に言った言葉を今ソックリお返ししたいと思っている。「前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか。」とね。