小沢夫人の手紙事件 言い訳しない小沢に不満

 昨日私は表記の件、不覚にも7:3で信じてしまった。私がこの件の記事を紹介したら殆んどの方からお叱りを頂いたと言って良い。
 
 私はこのブログで小沢に関した本等は大概読破した事は既に書いた。そして奇しくも選挙区もさして遠くない、隣と言っても良い位でもある。政界関係者は彼を「原理原則の男、言い訳しない、約束を守る、言った事は決して漏れない。」との小沢評。しかし彼は政治家でありながら、昨年の大震災において、選挙区でもある被災地や、地盤とする東北が被災しても決して他議員のように訪れる事はしなかったし、政治家は目に見える事だけが仕事でないとばかりに、実力者として裏方に徹した。その例が仙台空港の早期再開だったろう。私はそう言う前情報を知っていたが為、この夫人の手紙を信じた。だが一方でタイミングと夫婦間の事と思うと疑念も持ってはいた。だからこそこの記事が出た時にはすぐ反応したのである。
 
 確かに夫人のこの手紙何時出したかは、手紙の消印が無いから解からないが、一昨日以前な事は確かだから、私はこれが事実と違うなら、当然に対抗して言い訳でも良い、違うと言う言い訳をしてもらいたかった。誰かが言ってたが、離婚すれば小沢を名乗る筈が無いとか筆跡の鑑定とか色々言ってるがそんなの説得力等は無い。要は小沢家自身が当事者として全て解かっている筈だから、見えるところで否定をすれば良かったのである。小沢は「男は黙して語らず」的ポリシーを持っているみたいだから、そこを突かれたのである。私はかねてよりその言い訳のしない小沢一郎を何処と無く危惧していた。何故ならそうしない事によって、相手につけ込まれ、悪く言えば、そう言う事を誘発したようにも取れるのである。その言い訳しない事のデメリットはそれこそ数あった。その代表的な例は平成の初めの海部内閣時の自民党幹事長時代に、後継総裁選びに、50前の若造が、総裁候補の宮澤さんたち重鎮を呼びつけた事になっている事は、事実は宮澤さんたちが、こちらからお願いする事だから幹事長を呼びつける事は礼儀を欠くから、こちらから伺うのが道理と言う事で、小沢幹事長のいるホテルに行った、と言うのが真相であるのに、その事については小沢幹事長は一言も言い訳めいた事は言わなかった。彼はそうする事によって真相が解かれば、かえって信用されて、求心力が増すと真剣に思ってたフシも伺えた。彼は計算高い男とは思わないが、結果的にはそうなって結構カリスマ的な部分もあった事は事実である。しかし私は、事こう言う時には、それなりの言い訳と理由は話しても良いのではないのかと思っている。でないと、もしこれが事実でないなら、こんな酷い中傷は無いし、識者だけに解かってもらうためにだけに法的手段を用いるよりも、一般の国民向け用にそれなりの言い訳も必要なのではと私は思っている。「男は黙って・・・・・・・・」なんて言うのは昔CMにもあったが、昔だからこそ通じたのではないだろうか。