政治・行政に見る、「学問的頭脳」と「生活的頭脳」

 私は政治に興味を持ち、政治家の先生方とお付き合いを始めた40歳頃から、人間の頭脳と言うのは、「学問的頭脳」と「生活的頭脳」とが有り、それらは決して=にはならない事に気が付いたと同時に、それが私の持論ともなっている。
 今の政治は正にそれが顕著に説明出来る証ともなっている。
 私は以前に政権交代以後、民主党の政権の内閣が改造されるたびに、その陣容の学歴等プロフィールを紹介して来た。私のブログでその時期の記事を見て頂ければ解かるが、殆どが巷に言う有名大学卒の方々ばかりである。大震災の有事に、その有名大学のしかも、その専門学を学んだとして、それには詳しいとして鼻にかけ、結局ミスを犯した馬鹿な宰相も居たが、得てして世の中はそんなものである。
 
 つまり「学問的頭脳」がいくら優秀でも、難しい連立方程式を解けても、生活の方程式は解けるとは限らないのである。
 それから考えるに、今の政治の世界は、かなり歪に近い状態に陥ってると言わざるを得ない。それは何故か。あまりにも弁護士出身議員が多い事である。これ等「学問的頭脳」と「生活的頭脳」とが=と履き違えた結果であると私は思っている。
 
 私は建設と言う仕事柄に身を置いていたせいか、世の中が良く見える。それは何故か。それは、人種的に最低の商売と思われているからである。つまりどちらを見ても頭ペコペコで、腰を曲げて起きる事がないからである。仕事受注のためには、頭の下げ通しである。だから行政の連中を上から目線にしたのは、我々かも知れないと自戒の念もある。
 
 我々は常に腰を低くし、にこやかに、周りの方々とは絶対と言って良いほどトラブルも起こさず、常に周りに目をやり、常に仕事にありつける隙を狙っていたと言って良い。そのためにはお客様(官公庁及びそれにまつわる政治家・自治体の議員まで)は絶対で、仕事の受注には刑事事件になるような事を除き何でもやったから、良く解かるのである。サバンナの世界のハイエナと言っても良いのかも知れない。そんなだから政治・行政の裏も表も知り尽くしてると言っても差し支えないだろう。
 
 話を戻せば、中央の政治家にはこの「学問的頭脳」はあっても「生活的頭脳」が乏しいのである。私はこの政治・行政あるいは世の中で特に可笑しいと思っているのが、行政の役人は言うに及ばず、特に弁護士であり、学校の教師であり、警察官に就いている人種だと思っている。要するに常識知らずの、礼儀知らずと言って良い。この方々は、いわゆる「生活頭脳」に乏しい、人間としての常識や最低のルールあるいは人間としての気遣いのかけらも持っていない人種でもある。全てとは言わない、中には立派な方々も結構いらっしゃるが、得てして大方の方々がと言えるのである。
 
 私は今の政治にこの政治・行政の方々がもっとこの「生活的頭脳」を身に着けて頂けばこんな、理不尽な国民の6割以上反対の「消費増税」の政策を考えるなんて事はしないと思われる。環境が満たされて、いずれはと言う事でもあっても今はと言う事だ。
 
 これらは「生活的頭脳」さえ持ってれば、つまり気遣いの気持ちさえあれば、他人の 事を自分の事のように考えればと言う事である。
 
 今の政治にはそれが無い。自分だけ良ければと言う事が蔓延し過ぎている。これさえあればこのような気持ちさえあれば、決してそのような事は起きないと私は信じる。
 
 それこそ政治・行政には私が言う「生活的頭脳」の気遣いが全くない。これこそが国を滅ぼす第一要因となる事請け合いである。