維新は何様だ!ある意味可哀そうである

 日本維新の会は29日、石原代表と橋下代表代行が同席して都内で記者会見を行い、衆院選公約「骨太2013―2016」を発表した。公約は「賢く強く」をキーワードに、経済財政、社会保障、国家システム、エネルギー、外交・安全保障の5項目で構成され、自主憲法の制定を掲げるなど石原色の強いものとなった。
 公約の達成年限などは設けなかったが、橋下代行は「大きな方向性を示すのが僕ら政治家の役割。制度設計は官僚がするもの。批判されようが(内容を)詰めるつもりはない」と述べた。
 会見で2人はメディア批判に終始した。橋下代行は「今回のマニフェストに関してメディア、おかしいですよ」と述べると「今日の朝日新聞の社説に、脱原発の具体的工程表を示せって日本未来の党に言ってますけど、具体的な工程表は行政官僚が作るんですよ。政治家じゃない」と“天敵”を攻撃。石原代表も、記者の質問に「全くあなた、分かってないね」「つまらん質問して恥かかなくてもいいぞ」など、次々に威圧した。段取りを踏まえずに質問した記者に対しては「なんだ、オメェ」とにらみつけるなど、まさに“怒り新党”状態。衆院選に向けファイティングポーズをとり続けた。
 また、橋下代行は、竹島の領有権についての韓国人記者の質問に「国際司法裁判所について韓国、中国にぜひ言いたいのは、義務的受諾宣言というものをやってくださいよ。これは韓国と中国がまだ民主国家として先進国入りしていない、最大のウイークポイントですよ」。外交的問題を抱える両国も切り捨てた。
 

これスポーツ報知の報道である。
 

 全く橋本さんも似て来た、石原代表に。私は橋本さんを買いかぶり過ぎてたかも知れない。
 人間は常に、相手に対して例え腹の中でどう思おうとも、少なくても敬いの気持ちで接するのが基本である。それが動物の中で人間だけが持っている知恵であり動物と違う所以でもある。と私は信じている。人間夫々性格は変える事は出来ないが、変えようとする気持ちさえあればそれだけは出来る筈である。相手に対する言葉使い及びその言い方等はその基本中の基本である。そう言う事から考えれば、維新のこの方々は失格である。というより、簡単に言わせて頂けば生意気で節操も無い輩だ。この党に今後の人生を賭けて、自己責任において自前資金ではせ参じて立候補しようとしている方々が可哀相である。止めた方が利口である。今の内だ。そして昨日、この維新より東国原前宮崎県知事と中田宏横浜市長が比例単独での立候補が報道されたが、これを見てもやはり人間としての気遣いに欠ける。何故なら自前資金の脱サラの素人立候補者におんぶの選挙手法。私には到底理解し難い手法である。普通政党として公認料も無く自己責任で戦えと言う事なら、金も出さないのならせめて、当選出来得る下支えとして、知名度のあるこの方々を選挙区の前線で戦わせ出来るだけ維新の票を上乗せ、自前資金の素人集団を比例と重複で、後ろから手助けするくらいの気持ち無いのだろうか。私は選挙には素人だが、金を出さないのならと言う気持ちでそう考える。やり方が逆である。余りにも冷たいと私は思う。例え金にダーティさが付きまとうが、かの田中角栄や、現在の小沢一郎はそういう気持ちは持っている。いくら綺麗な事言っても、人間としての暖かい気持ちが無ければ、いづれは民の心が離れる例え通り、この維新の精神と手法は理解されず、とんでもないしっぺ返しを食らうだろうと私は思う。恐らくこのまま行けば維新は単なる地域政党に終わってしまう。それも自業自得と言わねばならない。ただそれに気付いていないこの二人は可哀相と言うより、哀れでさえある。