いまわしい思い出

 私は4年前の今日、救急車の中に居た。
 つまり、平成19年12月22日土曜日の事である。
 会社が休みだったので、やり残してた個人の年賀状である。会社の自室でたった一人でもくもくと作っていた。
 午後3時過ぎ、その年賀状が完成し、ホッと一息ついたときだった。いつもならそこで、タバコに火を点けゆっくりと一服と言う事だったろうが、実は私、丁度1週間前より60本/1日のタバコ止めていたからそれも無かった。ふと立ち上がったその時だった。頭がクラクラし目が回り、目の前が真っ暗になった。どうしたのだろうと、歩こうとしたら、目が回り歩けない、凄い吐き気をもようしどうしようもなかった。これはいかん!、とにかく家の者か、会社の者に連絡をと思ったが、目が回り目も見えない。とっさに携帯電話をとり、無造作にしかも履歴のあたりのキーを押し捲った。普段からの行いが良かったのか、不思議にも妻の携帯に繋がった。「倒れた、直ぐ来て!」と叫び意識を失った。気が付いたらテレビドラマだったらベッドの上だろうが、私は救急車の中だった。救急隊員がしきりに私の症状を連絡し、医者の指示を聞いているところだった。
 同乗してる妻は狂ったように、高速道路を走ってて救急病院に向かうこの救急車の運転手に「もっと早く走って、追い越して」と叫んでいた。こちらの高速道路は片側1車線で、前に遅い車が居たみたいだからだ。
 まもなく病院に着き、内科の主治医が待機してたが、「これはいかん!直ぐ脳外の先生」をと言い脳外科の先生を呼んでくれたみたいである。
 妻は咄嗟に危険を察知、直ぐ処置後の回復室に「面会謝絶」の看板を掲げたから、大変だ。私の関係者や、取引先やその他の皆さんは、もう××××さん(もちろん私の本名)もう駄目みたいとの話だったそうな。
 今は笑い話で話せるが、事実妻の話を総合して書いた事実状況である。
 後日談として、退院してから身近な人達は皆知っていたが、知人や取引先の人々には「あれっ、××××さん生きてたの」と言われて、正直返事に困った事も事実であった。