人事の下手な菅首相即ち「気遣い下手」

 菅直人首相が27日に閣僚人事を断行した際に、民主党小沢一郎元代表に近い山岡賢次副代表に閣僚入りを打診していたことがわかった。小沢グループを含めた「挙党一致」を主張していた国民新党亀井静香代表の助言を受け入れた形だが、人事は小幅にとどまり実現しなかった。首相の唐突な打診には執行部、反執行部の双方の側から「首相は人事が下手」との声があがっている。との毎日の報道だ。
 
 
  7年近くもの戦後の最長記録を持っている佐藤栄作首相は、その秘訣は「人事の佐藤」と言われるくらい絶妙なる人事の手腕を発揮したと聞く。つまりは人事は「気遣い上手」に他ならない。これには寛子夫人の「内助の功」も影響したらしい。それに比べればとてもじゃ無いが、菅直人ご夫妻は足元どころか傍にも寄れずハシにもかから無い。これはひとえに経験の不足何て言う次元の問題では無い。人間性と出来の違いと言えよう。
 
 少なくても首相と言う役は日本国の全ての上司に値するし、その本分の前に人間であらねばならない。それが「気遣い上手」と言うものだと私は思う。人間その「気遣い」が無ければ動物以下だと私は思っている。日本国憲法にある法は最低の生活をする権利を保障したものであり、人間の精神的生活まで保障したものでは無い。それを補って生活を共有するのが私は「気遣い」と思っている。
 
 今回の菅首相の退陣発言問題、「気遣い下手」と言うよりは、「身勝手」と言った方がよいのかも知れない。本来人間の社会ではあり得無い問題である。他人・相手を思いやる気持ちと心、つまりは「気遣い」があれば、たとえ書面に「退陣」の言葉の有無に拘らず、不特定多数の面前での発言の意味は重い。「書いた物」さえ無ければ、何をしても良いなら人間失格である。こんな事言うとお前は甘いと言われそうであるが、菅直人ご夫妻よりはマシだと思っている。