元東京都知事の石原慎太郎氏が1日、89歳で死去した。石原さんの自由な発言は、「慎太郎節」として世間の注目を集めた。
「日本の若者は天下国家ということを考えることがない」(1968年)
ベストセラー作家として知名度抜群だった石原さん。参院選全国区で政治改革を訴え、35歳で初当選。
「行政は患者さんのために何をしてきたかと深く反省させられた」(77年)
環境庁(現・環境省)長官として熊本県水俣市を訪問し、水俣病患者に謝罪。
「弟が亡くなってから私が味合ったものは喪失感などではなしに、ただただ巨きな虚脱だった」(96年)
私小説「弟」で、87年に亡くなった俳優・石原裕次郎さんの死をつづった。
「石原裕次郎の兄でございます。この国は下手をすると沈むかもしれない。東京が持ち直すことで、国を持ち直させたい」(99年)
「災害が起きたら三国人の騒じょう事件も予想される」(2000年)
陸上自衛隊練馬駐屯地の創隊記念式典のあいさつで、在日韓国・朝鮮人や外国人を蔑視(べっし)する発言で批判を招く。その後、「遺憾」との談話を出した。
「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」(11年)
東日本大震災直後、津波被害について持論を展開。発言の翌日に謝罪、撤回。
「命のあるうちに最後のご奉公をしたい」「80歳の俺がなんでこんなことやらないといけないのか。若い人しっかりしろよ」(12年)
知事辞任と国政への復帰を発表した際の記者会見で、若者を叱咤(しった)激励した。
「安全と安心がこんがらがっている」(17年)
自身が知事の時に進めた築地市場(東京都中央区)の豊洲地区(江東区)への移転問題で都議会百条委員会の証人喚問に臨み、主張。
「死んだら虚無ですよ」(19年)
小説「湘南夫人」刊行時の読売新聞インタビューで。晩年は「死」に関する言及が多かった。
これ『裕次郎さんの死「ただただ巨きな虚脱」、「三国人」「天罰」自由な発言に注目も…石原さん語録』と題した読売新聞 2022/02/01 20:52の配信記事である。
他人に気遣う事もなく、他人を敬う事もなかった男石原慎太郎が逝った。
とにかく自分以外は皆バカなヤツと思っていた事だろう。
私的にはこう言う手合いが一番嫌いだった。
心ではどう思っていても良い、だが少なくとも人前では人間的な配慮が欲しかった。
私がこの人を一番嫌いだったのは、やる事やってれば何しても良いと考える人だった事だ。弱者への配慮もなかった人であった。その一番の良い例が知事時代、都庁に日に1時間も居ず、高給とって居ながら僅かしか居なかった事である。これは殆ど仕事していなかったに等しい。何でもトップはデスクワークだけが仕事とは言わないが、職員より先に来て、職員の表情を見て、職員の状態を把握するのも仕事の内であると私は思う。教養もない1国民の一人として彼とは生きてる生活環境が違ったから偉い事言えないが、この人の一言一言が世間で言う「生意気」そのものだった。マスコミが言うようにこの人を無くして私的には残念だとは思わない。