「手あかのついた従来の議論ではなく、若手ならではの斬新な発想での取り組みを期待している」  安倍晋三総理が第4次安倍再改造内閣の目玉人事であった小泉進次郎環境相を起用する「抜擢人事」の理由をこう語ったのは令和元年9月11日、たった3ヵ月半前のことである。  進次郎氏は就任早々、汚染水の問題についての前大臣批判をするなど、これまでの大臣になかったような斬新な言動を次々展開しようとする。  しかし空回り感は否めず、国連会議での「セクシー発言」、直近では地球温暖化に取り組む環境活動家グレタさん批判等については疑

「手あかのついた従来の議論ではなく、若手ならではの斬新な発想での取り組みを期待している」

 安倍晋三総理が第4次安倍再改造内閣の目玉人事であった小泉進次郎環境相を起用する「抜擢人事」の理由をこう語ったのは令和元年9月11日、たった3ヵ月半前のことである。

 進次郎氏は就任早々、汚染水の問題についての前大臣批判をするなど、これまでの大臣になかったような斬新な言動を次々展開しようとする。

 しかし空回り感は否めず、国連会議での「セクシー発言」、直近では地球温暖化に取り組む環境活動家グレタさん批判等については疑問の声も上がっている。

 これまで自民党の期待の星として人気を集めてきた進次郎氏だが、結婚、そして大臣就任を機に風向きが変わってきているのは週刊誌の見出しを見ても明らかだろう。

 抜群の演説力、そつのない行動等で「将来の首相候補」として扱われてきたのが、政策が薄っぺらいとか、女性関係も含めて公私にわたっての攻撃が盛んに繰り広げられるようになった。

 その極め付けが12月26日発売の週刊文春での報道「進次郎 政治資金で『不倫ホテル代』」とも言えよう。

政治資金と不倫
 週刊文春の記事は進次郎氏の二つの側面を報じている。

 一つは配偶者のある女性との不倫。もう一つは政治資金の不透明な流れである。

 滝川クリステル氏との婚姻の際は、交際期間も含めて秘密裏にされ外に漏れることはなかったというが、A子さんとの逢瀬については文春報道が正しければ、徹底した情報管理を行なってきたとされる進次郎氏にしては無防備すぎるとも言える。

 相手が当初は既婚者だったからこそ交際が外に漏れないと思ったのかもしれない。誰と付き合おうとそれは個人の責任の範疇だろうが、文春砲はこうした「危機管理」に関する「進次郎神話」を崩し、むしろその能力の低さを露呈させたという意味でダメージになるであろう。

 それは印刷費がらみで指摘されている政治資金についても同様である。

 記事では政治活動用ポスターに記載された印刷所が実際には存在しなく、また金額も通常より高額なのではないかといった指摘がされている。

 こうした業者への発注や経理関係については、小渕優子氏の時に露呈したように、世襲で議員になったものは自分が把握せずして行われる場合が多々あり、よしんばそうだとしてもこうした疑問に対してどう答えるか注目される。

 クリステル氏との婚姻の際に出た育休議論の際に、「大事なことは3つ。公務最優先、危機管理万全、妻の不安払拭」と言っていたが、文春砲によりそれがより厳しく問われる形となった。

小泉ブランドの継承と展開
 進次郎氏は「自民党をぶっ壊す」と威勢良く言い支持を集めた父・純一郎氏の地盤を引き継いだのだから、当然その七光りはある。

 しかし「あえて」父と一緒の姿を見せないことで、進次郎というキャラクターを定着させ、世襲候補でも珍しく別ラインナップとして定着させることに成功した稀有な政治家とも言える。

 また初期には父との実母、実弟との関係等も含めたプライベートが報道されたが、そうした複雑な家庭環境も含めたいわゆるスキャンダル報道もマイナスとすることなく、小泉ブランドの継承に成功したとも言える。

 しかし、そのブランドが婚姻という形でペアリングされて売り出された頃からどうも雲行きが怪しくなる。

 「親子」の縦軸で受け入られた小泉ブランドの顧客は、「夫婦」という横軸展開の売り出しについていけなかったのである。

 他の例えをしよう。小泉進次郎はあくまでピン芸人であり、自分の思ったことだけを話すことはできても、掛け合い漫才、夫婦漫才はできないのである。

 結果、一方的に語る演説では発覚しにくい突然の問いに対する反射神経の鈍さが露呈してしまったのだ。

 間を埋めるためか、何を聞かれても力技で自分の話したいことだけを答える。そこでの頃合いを図るスケールが欠損していることが可視化されたのだ。

 さらに「……だね」を多用する口調が加わる。共感を求めているようで、この「ね」は自分が語った言葉をさらに念押しする「ね」だ。断定的な物言いはまるで自分を納得させるかのようである。不全感を持つからこそ、こうした万能感を確認する必要があるのだ。

 進次郎氏と同世代の40歳前後で同じような物言いをする人を探すのは難しいだろう。

 妻クリステル氏の存在は奇しくもこれまで見えなかった、もしくは見えにくかった進次郎氏の「欠損」部分を奇しくも表に出すことになった。

 「ポエム」と称される「受け答え」が話題になったのは至極当然とも言えるのだ。

グレタさんを批判するワケ
 一連の「ポエム」発言はもちろんのこと、進次郎氏の言動はグレタ・トゥンベリ氏に対する批判でも話題になった。大人気ないとも見える言動は若くして事をなそうとしているグレタさんに対する無意識のうちのライバル視なのだろうか。

 ただ、グレタさんは彼女は少なくとも自らの理念や考えで一人で行動を始めた。誰が手伝わなくても、である。

 進次郎氏の場合、街頭演説の準備でも過去に一人で行ったことがあるのであろうか? 被災地等、自分とは環境の違う困難にぶち当たっている人々に寄り添う姿勢を見せるが、それはあくまで「お膳立て」された範疇の中での行動であろう。

 「恵まれた中で育ったのに庶民の心がわかる自分」への自己愛はクリステル氏との結婚報告の際の大げさな言い回し=「政治の世界は戦場」にも表れている。

 「戦場」といった比喩を使うのは、政治の世界が「一般有権者が想像できないような世界」であると、まずは自らを高みに立たせ、さらには時代がかった「鎧」という表現で、通常の政治家より自分が抱えている責務が重いことを強調したいとも取れる。

 「選民意識」と、期待されればされるだけ根底のところに実は存在している「劣等感」のようなものの「ないまぜ」が彼を「疑似戦場」に立たせ、自らを「戦う英雄」として位置付けないとモチベーションが維持できない状況に追い込んでいるのかもしれない。

 「擬似的な敵を作り、戦う姿を演出する」ことで人々の目をそらすと言う「くせ」はグレタさんへの批判にも重なる。

 しかし、進次郎氏は自身の言動に否定的な声があっても黙らない。自らが「空っぽ」であることを積極的に発信しているということであることは通常では解せない行動である。

 例えばCOP25で皮肉を込めた「化石賞」を贈られても「驚きはない。授賞理由で、まさに私が言ったポイントを挙げていただいた。的確に国際社会に発信できている」と言い切るところなど、もしかしてこの皮肉を理解さえできないのかと心配になるほどだ。

 多分そうなのだろう。

 世界中どこに行っても自分は歓迎され、握手を求められ、写真を撮られ、声援を受ける存在であると無邪気に思っているのかもしれない。

可視化された「進次郎クオリティ」
 進次郎氏が選ぶ言葉、問題への対応、付き合う相手、結婚相手、人脈――。

 進次郎氏がセレクトしたものはそこに彼が価値を見出しているということである。

 国会議員になって10年。これ以上ない環境のもとで勉強し、知識をため、経験を積んできた上での選択はまさに「進次郎クオリティ」として発信され、それによって進次郎氏がどんな人なのかということもまた晒される。

 週刊誌の報道も含めて、私たちは政治における日本のサラブレットの実像というものを確認させられているのかもしれない。

 国会議員になって以降の進次郎氏はインタビューに答え、20歳の頃の自分に関するエピソードを披露している。

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「ちょうどその頃、父から「将来どうしたいんだ?」と聞かれ、私は「できることなら跡を継ぎたい」と言いました。それに対して父は「そうか。じゃあ勉強しないとな」とだけ。父がワンフレーズしか話さないのは、その時も同じでしたね(笑)」(NIKKEI STYLE「心をつかむ進次郎節、原点は留学時代の猛勉強」)
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 「将来どうしたいんだ?」という問いに対する答えが、「政治家になりたい」や「こんな仕事をしたい」というものではなく「跡を継ぎたい」。

 質問と答えが「当たらずとも遠からず」のチグハグ感はこの頃からすでに日常的だったと思われる。

 菅義偉官房長官は、小泉進次郎大臣の言動をマスコミに問われ「今日も進次郎、ずっと進次郎」と答えた。

 しかし「ずっと進次郎」であるならば政治家としては心もとなすぎる。

 今、ある漫画が評判である。『恋と国会』(ビックコミックスピリッツ)。作者は恋に素直になれない女性を描いた『娚の一生』で大ブレークした西炯子だ。

 主人公は25歳で初当選した二人の国会議員だ。一人は小泉進次郎を彷彿される世襲議員海藤福太郎。永田町の論理の中でもそつない動きをし、将来の首相は間違いなし、と言われている。もう一人は地下アイドルの女性、山田一斗だ。

 「さっきから国会の中見てたらさ、国のリーダーにふさわしい人なんていないんだもん。過労死した人のことを『厄介』とか言ってたし、私に『消えろ』とか言うし! そんなんだったらあたしが総理大臣になる!」

 総理大臣を選ぶ首班指名では本来は所属政党の代表を書かなければならない。しかし一斗は「ふさわしい人物」として自分の名前を書く。

 こうして政治の理不尽をいとも簡単に超え、福太郎も彼女の素直な行動に消極的ながらも触れることで、狭い範囲の常識にとらわれていた福太郎にも変化の兆しが見え、ともに政治の改革に乗り出すと言うストーリーだ。

 最近単行本が発売されたが、本には「今の政治に爆発寸前の皆様へ」と帯付がされている。

 主人公のモデル的存在だった進次郎氏は、リアルな政治の現場で「爆発寸前」の国民と語る共通言語を持たないまま、すれ違っていくのであろうか。漫画の行方同様、先が気になる。

 進次郎氏は「ずっと進次郎」を超えられるか。

 「進次郎クオリティ」がその答えを示しているとも言える。 井戸 まさえ


これ『“将来の首相候補小泉進次郎環境相の「万能感と不全感」の正体』と題した現代ビジネス12/27(金) 7:01の配信記事である。


小泉純一郎元首相の息子だからと、それ以上に買いかぶられた結果が今本人を直撃してる。親父の元首相だってハッタリと変人さで宰相になった人だ。息子だってそんなに変わらない筈なのに、余りにも持てはやされたお蔭で、本人までそう思ってしまった事がこの人の性格を如実に表しているし、今後が大変だろう。何せ言う事が少し軽いし低過ぎる。時には本当に国会議員なのかと首を傾げる事間々あるからだ。大きな期待ほどダメな時には目も当てられなくなるだろう。私的にはそれが良く見える。