東日本大震災:電源喪失で炉心溶融を否定してた保安院長

 
 保安院の寺坂信昭院長が、昨年5月26日の衆院経済産業委員会で、福島第1原発で起きたような原発の全電源喪失による炉心溶融事故について、ほぼ起きないと説明していたことが分かった。寺坂院長はこうした事故の可能性は認めたものの、「ゼロじゃないという意味の論理的世界」と答弁していた。
 吉井英勝議員(共産)の質問に答えた。
 寺坂院長は、全電源喪失事故とは「外部電源が喪失し、非常用ディーゼル発電機や隣の発電所からの電源融通もできない事態」と説明。「非常に小さな確率(のトラブル)が一つ一つ実現して、冷却機能が長時間失われると、炉心溶融は論理的には考え得る」と述べた。との毎日新聞の報道である。
 
 この震災に当り日夜頑張っておられる、官僚・公務員の方々には頭が下がるが、私は官僚・公務員の方々には日ごろよりの不信感が拭えない。
 私はこの40年の商売を通して見ての公務員評には次のような結論を得たので紹介したい。
 『決して公僕の意識無く、与えられた仕事は忠実にこなし、前例を踏襲し、前例を作らず、「責任」と言う事柄に異常に反応し、その「責任」の回避には天文学的才能を発揮し、民間で言ういくら掛ければいくらで売れる式の考えが全く無いのが公務員』
 自賛する訳ではないが、あながち的外れでも無かろうと思う。この結論は国家公務員は地方の出先機関、そして都府県庁、市役所、町村役場との付き合いで、霞ヶ関の官僚とは直接の付き合いは無かったが、高級官僚を辞めて国会議員になった人々との付き合いから出た結論であるから実際の官僚とはそんなに違わない筈である。
 国会討論や委員会討論をテレビ中継でご覧になった方々は良く解ると思うが、国会答弁を聞くアレである。与党も野党も、以後の非協力が怖くて、官僚・公務員には真剣な質疑が出来ないのである。だから言うだけ言って、「考えて見ましょう」「善処致します」の言質を取って後日の結果質疑はせずに「ハイそれまでよ」なのである。唯一やれる、やるのは共産党だけなのである。例えが違うが、地方の弁護士の少ない地域での訴訟で、いつも争う弁護士が同じための裏取引と似てると言っても良いのである。

 話を戻そう。
 今回の寺坂保安院長の答弁だって、よもやの出来事なのであろう。当初よりの東電の自民党との二人三脚の原子力行政だったのである、当然原子力の安全政策は、はなから傍らだったのだったから無理の無い事なのである。私は以前にその原子力の安全政策なんて無かったのではと指摘したように、現実的には理論・理屈はすべて机上論だけであったのである。それをこの大震災が暴いてくれたと言えよう。国と東京電力自由民主党の責任は計り知れないものだと言って差支えない筈である。