日本政治と政権政治は人間の付き合いである

 私がそう感じたのは、政治に興味を持った1970年代からである。時は戦後の復興期の真っ最中で、やる事全てがうまく行き、経済は右肩上がりも何処までかとも言われていた時代である。政治は池田勇人内閣の所得倍増計画を経て佐藤栄作首相に引継ぎ、昭和の国民宰相田中角栄内閣から1昨年の本当の政権交代まで、政治の混乱無く推移したのは正に人間と人間の付き合いによる政治だったと私は思っている。つまりは別紙にもあるが、国対政治そのものだったからである。と私は今思っている。何か私がこう言う事言うと皆さんは、おまえ何を言っているのだ。といわれそうだが、私も政治家との付き合いの中で見てみるに、それが本当の政治なのかと思うようになって来たのは事実である。以前は、政治と言うのはもっと、綺麗なものと思っていたが、政権交代した今特にその思いが強くなっている。
 
 政治と言うのは綺麗事では無いんだ。政治と言うのはもっと、ドロドロしたものなんだと思うようになって来た。別紙の国対委員長の一覧表を見て頂きたい。これを見て頂ければ、時の政権が誰で誰がその時に相手側との折衝役の国対委員長だったか解ると思う。共産党が言うように表(おもて)対表(おもて)の互いの折衝だけでは物事進まないし、時には汚いが官房機密費も使わなきゃならない。それこそ綺麗事では進まない。委員会と国会の議決なんて、1つのデモンストレーションに過ぎないのである。お手盛りの形作りの何物でもない。もう、全て国対で手を回し、決めているのである。つまり、私は何をいいたいか、いう事であるが、時の政権党の国会運営の上手さは国対で決まると言いたい訳である。別紙の国対委員長の一覧表をもう一度良く見て頂きたい。時の政権党が長く維持できないのは首相だけの問題は別としてはっきり言って、付き合い方が下手な無能の国対委員長がやった時だからである。と言いたい。私は現政権を信用はしていないが、もし、菅さんがもっと有能な国対委員長を選任してたら、もう少し違った展開になっていたのではこんな事にはなっていなかったと思っている。
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