参議院選も終わり、今後を占う民主党代表選も先日終わり、菅首相が再任そして内閣を改造して再出発したと言うに、巷では、まことしやかに「ポスト菅」が囁かれている。政治史上、新しい内閣の出発に際し、考えられない事である。これは即菅内閣への不信感そのものであるからだ。
民主党代表選でノーサイドを誓った割には露骨な「小沢外し」=「脱小沢」人事である。何時の世も敗れれば賊軍は当然、それには誰も不満は無い。が、この党は不思議なもので勝った「官軍」そのものが一枚岩でなかったからに他ならない。戦国の世はお館様ため、命を賭しても、しんがりを勤め、家のため家族のため、そしてひいては子のためと考えての菅支持は恐らく今回側近を除き1人とて居なかった。それが人事にも表れ、お館様の面前での露骨な分け前の要求であり、唯1人権利欲を引っ込めた岡田前外相だけが「天命だ」と言って幹事長を引き受けた。この「一連托生の損な役回りを引き受けた」岡田前外相がその下馬評に上がっている事自体、この民主党の不思議さである。
今の民主党は政党の体を成していないし、またそれに少しも気付いていない、菅首相に私はある意味の同情を感じ、哀れささえ感じている。