菅首相、民主党の立党精神かけらも無し

 昨日のブログにも書いたが、民主党立党時の精神は「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」と言う事であった筈である。つまり、昨日の投票前の演説でこの事にふれたというか、政策として示したのは、皮肉にも途中入党の小沢候補であった。
 と言う事は立党精神を忠実に守ろうとしたのは小沢さんだったと言う事である。
 この「官僚依存の利権政治との決別」と言う事を菅さんはほとんど理解して無いのではないかと私は思っている。逆にここ3ヶ月の菅さんの施政を見ていれば、官僚頼りが酷すぎる。鳩山前首相の政治主導精神が官僚排除に偏った嫌いを割り引いても、酷いと思う。これは政治主導を貫くよりも自らの延命を優先したからに他ならない。つまり、苦し紛れの国民不在の延命策と言えよう。
 では今私が大首相様に教える事ではないが、官僚依存の脱却とは、日本の政治が戦後の混乱期から高度成長期を迎え成熟する過程で、確かに官僚の力は素晴らしいものがあり、政治家の手足となり、時には政治家をリードしたその功績は余りあるのは認めるが、何時からか解からないがどう言う訳か途中から主従逆転してしまっていた。勿論政治家が悪いのであるが、手足の命を受ける側からする側に変わっていた。形は従でありながら決済を主導してしまっていた。その顕著な例が天下りであり、天下り先の乱発であった。確かに右肩上がりの経済好況時には許されもしたが、現在の状況では当然問題視される。しかも当時にそれが見込み違いになっても官僚には責任は無く、政治家もうやむやで終わっていた。しかし不況の長いトンネルに入っている今、そう言う流暢な事は言ってられない状況にある、故にいくらかでもムダを省き、そして政策に政治家として責任を持った対応をとらなければ、政策立案行使のシステムが立ち行かなくなるは必定である。よって少子高齢社会を迎えた今政治主導を確立しなければ、この難局は二度とクリア出来ない事を菅さんは知るべきである。