民主党党首選に見る両候補の哀れさ 裏に潜む最低の輩

 党首選が泥仕合を呈して来た。
 私はここのところのこの報道を見るに付け、両候補が可哀想になって来た。
 私は元々自民党支持であり、いや本当を言うと小沢党と言ってよい。自民党時代より新生、新進、自由、民主と小沢一郎とともに支持を歩んで来た。
 本年小鳩体制が崩れ菅体制に移行後、任期の到来によりこの党首選に相成り、続投を望んだ菅体制は、鳩山前首相に助けを求め、復権の期を望んでいた彼に「トロイカ+1」で収拾を頼みそれを呑んで収めようと計り、成功したかに見えたこの収拾策を拒否したのが、前原・仙谷連合である。私は前のブログでこの争いは、形を変えた官僚VS小沢と書いた。確かにその通りであるが、今私はこの争いは、形を変えた前原・仙谷連合VS小沢の戦いと訂正したい。以前自民党支持時代より総裁選の戦いをつぶさに見て来た私としては、今回の党首選は過去のどの総裁選の戦いよりもエゲツない戦いに見える。だからこそ表題に相成った。脳の中身の無い菅さんに一番愛想を尽かしているのが、恐らく前原・仙谷連合だろう、借りてきた猫のように、毎日の選挙戦が終わり、明日の打ち合わせ時に、頭ごなしに怒られる菅さんの姿が目に見えるように私には見える。その隣で無言で顔を歪める野田さんと玄葉さんの顔も見える、そのように私には見える。
 対する小沢さんだが、今までのカリスマが現実になり、豪腕がマスコミの虚像と解かってきたのではと私には思える。小沢さんは当たり前に普通に淡々と遊説をこなしている。遊説を重ねる度に理解されていくのではないだろうかと私は思っている。話を変えて悪いが、憲法の問題と一緒で、作ったからその通りを必ず守らなきゃいけないかと言うと沢山の人が考えるように、時と時代のニーズに合うように代える事も必要だと思うし、皆が一生懸命考えて作った来年度の概算予算であっても、見直しをする事も必要な時は必要なのではと私は思っている。兎に角小沢さんは自然体である。
 もし、菅首相の勝利に終われば行き着く先は前原・仙谷連合内閣である。そしてその場合、「ねじれ」のために「短命内閣」であろう事はこの前原・仙谷連合はとっくのお見通しで、後は自分と思っている前原がほそ笑むんでいる姿が目に浮かぶ。だからその権利を守るためにも前原・仙谷連合は死に物狂いだ。