菅首相のしたたかさ

 菅民主党になって僅か10日、私は今何も手に付かずすごい虚脱感に襲われている。
 昨年の政権交代に全神経を費やし、それを成就し、今年の参議院選でさあもう一度と言う時に小鳩体制が辞任し菅党首に代わった。しかし、私にはもう一度と言う高揚感はほとんど無い、もしかしたら、大願成就後の虚脱感?、形が違えどオリンピックで金メダルを取った後の選手の気持?、解かる気がした。
 菅内閣の「強い経済、強い財政、強い社会保障」、「消費税を含む税制抜本改革を行う」事や「官僚との共生」等を謳う目標について考えて見ると、小鳩体制への否定と副総理としての自己否定ではないか。しかも、今のあのはしゃぎ様を見るにつけ私は益々虚脱感が増幅する。
 そもそも昨年の政権交代とは何だったのか、これを考える時私は、55年体制以来の自民党の依然国民目線から見た政治のムダでなかったのか。民主党はそれを打破するため立ち上がり、すべての政治の根幹をなす、官僚主導から政治主導への奪還を1丁目1番地としたしたからこそ国民の共感を呼び、それが今年の事業仕分けとして表れ現在に至ったのではないのか。だからこそ政治主導はどんな事があっても譲れなかった筈である。それをいとも簡単に「官僚との共生」を謳う事は、民主党の延命に名を借りた菅首相自身の延命に他ならない。
 鳩山政権の継承を公言した菅内閣は、これでは継承どころか反逆ではないか。自民党等は極左政権などといってるが、私は正に第2自民党ではないかと思っている。勘ぐれば今回の民主党政権劇、「ずる菅」にしてやられた感がする。