小沢一郎それはマスコミの虚像?

 小沢一郎の事、書くのはこれで7回目になる。前にも書いたがネタが無くなると私はすぐ小沢一郎になってしまう(詳しい事はこの過去ブログを見て下さい)。
 思うにマスコミを賑わす小沢一郎の姿はそれに作られた虚像であると私は思っている。私は1回だけしか逢っていないし話した事も1回だけである。しかし、話してみると、人が言う横柄な生意気な姿は微塵も無く、他の見慣れている現世の政治家とは異質な何かを感じささせる本当に不思議な政治家ではある。これが率直な気持ちである。恐らくマスコミの質問に答える時の小沢一郎はマスコミの言ってる如くなのであろう。だからこその現在の小沢一郎感なのであろう。私はいつも思っている、今もし田中角栄小沢一郎が何故に複数居ないのか、いたらもっとこの日本国が変わっていたろうにと。
 思えば1953年に貧困な状況にあった日本の道路事情を自動車の利用者が道路の維持・整備費を負担する、いわゆる受益者負担の原則に基づく道路特定財源制度を考えた田中角栄のような予見ある政治家、良し悪し別に日本の将来を担える政治家が居ないのか、私はもっと遠慮しないで小沢一郎と言う政治家にそれを託したいと願ってやまない1人である。その時にいつも残念に思っているのが古い話になるが1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で死者6400余名を出した時の事である、あの時に日本国の総理を社会党村山富市官房長官社会党五十嵐広三)では無くて、もし田中角栄小沢一郎が総理をやってたら、危機管理だけでなくすべてにおいての対処の仕方の違いで死者を半分位には出来ただろうと今でも確信してるし、残念に思っている。それだけ一般の良き常識ある政治家達とはどこか違う何かを持っている政治家と私は思っている。私と違った認識の方には1度でもいい、実際に逢って自分の目と耳で確かめたらと提案をしたい。