私の小沢一郎感(その2)

 最近のメディアは皆民主党小沢一郎幹事長の独裁政権との考えで一致している。私は彼の事をこのブログで取り上げるのはこれで4回目になる。題材が無いと私はすぐ小沢一郎になってしまう。彼をそれだけ私は良く知ってる(勿論書物からのみだが)し、すらすらとすぐ書けるからだ。以前にも何度も書いたが彼は本当の原理原則主義者で民主主義者だ。それも、半端じゃない。前にも言ったが師匠田中角栄と同じ民主主義は数であり数は力であり、そしてそれは、金の力でもあると信じて疑っていない筈である。私はその証拠や現実を見たわけじゃないからはっきりと言えないが、物の本と普段の言動から推察すればの事である。これを聞くと100人中100人の方々は皆軽蔑の眼を向けて笑う。しかし、現実はその通りであるし笑い事ではないのだが、一瞬見下してしまう。そんな綺麗事なんか言ってられない。前政権党自民党衆議院で可決し、参議院で否決されても再度衆議院で2/3で可決出来るのである。これなんか民主主義は数であり数は力である事を物語っている良い例だ。2/3の議席を得るには選挙で金もかかる、これこそ原理原則主義者の小沢一郎そのものである。
 人間どんな人でも弱点と苦手が必ず存在する。これの無い人はまず居ない。旧政権党自民党の議員さん達の弱点と苦手がそう、それが政治家小沢一郎なのである。彼が自民党時代に金丸信に可愛がられ幹事長として辣腕を振るった時を知ってる今の自民党の中堅あるいは長老達は、良し悪し別に弱点を握られてる場合が結構ある筈だ。しかし、彼はそのような素振りも見せず、ただ、あの細い目でジロッと見つめるだけだとしたら、それが小沢一郎をこれ程までにカリスマ化した所以であろう。だからこそ小沢一郎までじゃあ無く、小沢と聞いただけで皆身構え、恐らく差しで小沢一郎と正面きって対面で話の出来る自民党議員や民主党の議員は居ない筈だと確信する。あの森喜郎元首相だって出来ない筈だ。メディアでは皆さん粋がって彼を批判してるが、差しで話をさせたいものだ。特に私は町村信孝さんあたりとさせたいものだ。
 原理原則主義者の小沢一郎を知ってもらうに1ついい例がある、皆さんも見たと思うが、この8月30日の衆議院総選挙の開票時の時のNHKテレビでの事、NHKアナが、まだ開票0%の時にNHKの出口調査自民大敗、民主300議席の勢いと出た後の民主小沢幹事長へのインタビューで彼は何と言ったと思いますか皆さん。彼は「何を言ってるの、まだ票が出てないのに軽々しくコメントなんて出来やしない。何を言ってるんだ君は」と言った。その時のNHKアナはあと何も言えず、気まずい空気が流れその時の何秒かの沈黙といったらホント可笑しかったのを良く覚えてる。そんな男なのだ小沢一郎と言う男は。確かに見聞きすれば彼の言うとおりなんだが、素直じゃ無いと言うか、臍が曲がってると言うか、とにかくすべてが万事このようなのだ。