加藤の乱の君、やはり本質は変わっていないしピントがずれてる

小沢一郎氏が民主党を離党しました。前回お話しした“「3ない」の予言”が外れてしまいました。(『決められる政治を自民党が実現しました』)
離党は、政治的にはほとんど自殺行為です。
 「友人として、小沢君は気の毒だな。才能のある政治家だけど、これで終わりだろうな。さびしい」。
 離党を見て、かつての同志・渡部恒三氏が語った言葉がテレビで伝えられていました。いったい何が「終わり」なのでしょうか。小沢氏の政治の師であり、彼に大きな影響を与えたのは田中角栄氏です。私は、田中氏から受け継がれた政治スタイルが終わったのではないかと感じています。
今回ばかりは、小沢氏の手には切り札がありませんでした。それでも消費増税反対ドラマをここまで大きなものにしました。たいした力量です。しかし、財政再建で一歩も譲らない構えの政官を前に、「豪腕」もついになすすべがなくなったのではないでしょうか。
週刊誌に掲載された「手紙」の一件で、永田町には激震が走りました。小沢氏は党に残って野田総理を倒すことが許されないほどの傷を負ったのだと思います。40人ほどが一緒に離党しましたが、次の衆議院議員の選挙で当選する人数は、おそらく一桁になるでしょう。そうなれば、小沢氏が率いる党の勢力は小規模なものにとどまり、これまでほどの影響力は発揮できないかもしれません。私にとってもかつての仲間でしたから、寂しいですね。
日本の政局は、各党の違いがよくわからない状況になりました。大連立か、政界再編か、二大政党にこだわるのか、はっきりしません。このような状態がこれから2、3年は続きそうです。私は政界再編に進むべきだと思います。そして、そこには大義名分がなければなりません。政策という明確な旗が掲げられ、国民が選択できるようにならなければ意味がありません。どんな旗が立つべきか、どの旗の下に集うべきなのか、この2年ほど考え続けています。
 
 
これ平成24年7月9日にBLOGOSに紹介された加藤紘一さんのブログである。
 
 

 私はこのブログを見て変わっていないなあと正直思った。若い時党人の小沢と、外交官として生きるために袂を分かった間にしては、また何10年の議員生活にしては、考えが浅いと正直感じた。私は彼が自分が所属する自民党の行く末とを考えての小沢論かなと期待したが、相変わらずの公家様と言える。
 小沢の心配より自民党の心配をすべきところの筈だと思ったが、一向に危機感無いと見える。
 だって、党の綱領さえも無く、政党の公約さえかなぐり捨てた、もはや政党と言えない民主党と組み、官僚の誘導政策にはまり、その使い道さえ理解してない自党の愚かさに気づかず、それに反旗をを翻がえした小沢一郎を哀れむとは、ホント少しピントがずれてると言って良い。
 人間に例えれば、人間と人間の約束を破ればその時点でその人間は信用を無くし、以後相手にされなくなるのが常である。それが例え国の根幹の政策であっても例外は無いのが当り前である。人間の付き合いとはそう言うものである筈だ。自公が民主党と談合した時点で民意の対象から外れると言う事になる。加藤さんは自党にそれを注意喚起するべき立場だった筈であるのに、にも拘わらず、逆に民意に沿った筈の小沢の離党を哀れみ同情し、はては、小沢新党が1桁になる予想とは余りに読みが浅い。小沢の主張が全て是とは言わないが、今回の民主党の内紛劇、どちらに義ありやと尋ねられれば、当然に「消費税増税に賛成した議員」が非となるのが今の「民意」である。それは小沢の好き嫌いに拘わらずだ。
 何か加藤さんは政局の眼に疎いみたいである。何故なら、自公と組んだ段階で民主党民主党でなくなってしまったのである。今後はその存在さえなくなるであろう事は、大方の一致した見方であるからである。
 
 結論的には、時代と共に政治スタイルは変わってきている。あなたが生きた自民党の重鎮の時代ではもう無いのである。山形の選挙区において、昔ながらの利益誘導の時代ではないのである。確かにあなたはそう言う政治手法は取ってこなかった事は認めるが、政治があなたを必要としなくなってきた事に比例し、あなたは知らずの内に、その嫌いな手法に傾斜してきた事も事実である。だったらあなたの使命は、自民党監査役であって、国会議員として、国会を老人ホームには考えてほしくないからである。