大阪クロス選は維新の勝利に終わったが、これは「都構想」を掲げた大阪維新と言う政党だけの勝利ではない! これはそれ以前の自公政治があまりにも酷くそれへの回帰の拒否の結果だ!

 「身の引き締まる思い。これだけの勝負をかけ、大きな評価をいただいたので重責への緊張感の方が高い」
 知事と市長に当選が決まった吉村洋文さん(43)と松井一郎さん(55)は7日午後8時半すぎ、1カ月前に辞職表明し、知事と市長の立場を入れ替えるダブル選への出馬を表明した時と同様、大阪市中央区の維新本部でそろって記者会見に臨んだ。二人三脚で選挙戦を勝ち抜き、固く握手を交わして「府市一体で都構想の実現に取り組む」と改めてアピールしたが、府議選や市議選の最終結果を待たずに臨んだこともあり、笑顔はなかった。
 都構想の制度案を協議する法定協議会(法定協)は37日の会合で決裂し、維新の最大公約である都構想の賛否を問う住民投票再挑戦が行き詰まった。2人は翌8日、「信を問いたい」として任期途中の辞職に踏み切った。松井さんは同日の会見で、20155月の住民投票で都構想が否決された後、同11月のダブル選で再挑戦を掲げた維新が勝利したことを挙げ、「一丁目一番地の政策を諦めることは府民・市民への裏切り。先頭に立って戦いに挑むのは大義がある」と強調した。
 2人は選挙戦で、25国際博覧会(万博)誘致や大阪市営地下鉄民営化など維新政治の実績を列挙し「府市対立による二重行政を解消するための制度だ」と都構想に改めて理解を求めた。再び信任を得たことで、吉村さんは「府市一体での改革を続けていけという(有権者の)ご意思だ。都構想の再挑戦に踏み出したい」と決意を語り、松井さんも「都構想の中身をまだまだご理解いただいていない。反対の方の意見も聞きながら丁寧に進めていきたい」と「丁寧」を繰り返し強調した。
 互いの立場を入れ替える奇策で臨んだ今回選。その手法への批判は、2人の耳にも届いていたという。松井さんは「終盤にかけて説明を尽くす中で判断いただけた」。吉村さんも「大きな目標の下で実行した。徐々に理解いただけたのかなと思う」と振り返った。
 反維新陣営からは「政治の私物化」「任期の投げ出しで職務職責の放棄」などと激しく批判された。公明党が府本部推薦を出すなど、前回ダブル選より対決姿勢を強めた。厳しい選挙戦も予想されたが、松井さんは「有権者の皆さんはちゃんと見ている。政策の中身や、これまで我々が取り組んできたことを考えた上で投票されていると思う」と述べた。
 15年の住民投票否決を受け、維新創始者橋下徹氏が政界を引退。党代表と知事の二足のわらじを履く松井さんが敗北すれば、維新は存続の危機に陥っていただけに、松井さんは「この34カ月、ぶれずに公約を守ってきた評価だ」と胸をなで下ろした。
 2人に先立って会見した今井豊幹事長は「自民から共産まで相乗りの戦いに維新が果敢に戦った、互角の戦いだった」と分析。松井さんは激しく批判してきた公明に対し「この結果をどう受け止められるか、意見をうかがいたい」と民意の尊重を求めた。法定協で対立した自民党共産党を念頭に「議論の妨害だけはやめてほしい」とけん制した。
 ダブル選に踏み切った背景には、府市両議会における議会構成がある。維新は府市両議会の告示前勢力で第1会派ながら過半数に届いていなかった。府議選(定数88)で55人を、市議選(同83)に43人をそれぞれ擁立。早々に当選を決めた2人は、都構想の成否を左右する府議選、市議選の最終結果を待った。【津久井達、真野敏幸、松本紫帆】
 
 
これ『大阪ダブル選 入れ替え“奇策” 維新2人「有権者の理解いただけた」』と題した毎日新聞4/8() 0:20の配信記事である。
 
 
維新は「大阪都構想」の勝利と浮かれているが、それは本当に微々たるものである。維新政治以前の自公政権が職員にユニフォームを支給したり、過剰生活保護制度等の酷さにNOを突き付けた結果であって、決して維新と言う政党にだけの票ではない。維新の同じ事をやれる政党や団体があればそちらに行っていたという事である。それを維新と言う政党がやったから勝ったと言ってよい。
いつぞや橋下元大阪市長が自公政治時代以前の太田房江大阪府知事をこき下ろし、それに太田さんが反論したことがあったが、いわゆる官僚出の太田さんの時代の自公政治は旧態依然のそれこそ古い政治手法しか出来なかったのを、橋下徹大阪府知事率いる大阪維新が新しいムダ排除の政治を実践し、正にその名の通りの政治維新を築いたがための結果だ。それを大阪府民・大阪市民が忘れずにいたという事に他ならなかった。それが結論である。